2010年 6月 6日  快晴。空気軽くさわやか。

しばらく更新が途絶えたが、僕は一応元気だ。ただ書けなかったのはいやはやなんだか凄まじい数週間だったからだ。今思っている/感じている「これ」はなんなのかについては、またきちんと考えなければいけないのだろうが、さしあたって何があったかだけは今日書いておこう。とは言え、どこから始めればいいだろう。


親子展(5/11~16)は、うまく終了した。胞夫さんは5月31日入院検査、6月1日胃瘻設置手術。僕は、5月27日入院。昨年心臓環状大動脈に3個めのステントを入れた手術から退院する時、半年後の検査入院のことは言い渡されていてその時の話では、ま、一週間もあれば大丈夫だよと言われたと、固く信じていた。だから、今回行くにあたっては、1週間分の下着と身の回りの道具と、それから本を、全部大きなバッグに詰め込んで、勇んで出かけた。

当日受付にいったら結構沢山の僕と同じ状況の(みんな僕とほぼ同じ年代の)人達がいた。そしてこんな大きいバッグを担いでいるのは僕だけだった。みんなナイロンのちょっとした手提げ袋程度。「みんな慣れてるんだなあ」と僕は感心してみていた。検査とはいえ、カテーテルを心臓まで入れて造影検査をするわけだから、最初の日は血液検査とか心電図とか何か検査のための検査をするのだろうと、心から、僕は思っていた。呼ばれて、みんな列んで連れて行かれたのは、カテーテル検査室(僕が最初に検査されて、そのままステントを入れられた手術室にもなる所)の前の廊下だった。大っきい荷物を持ったまま、ハイ裸になって検査着に着替えなさい。ええっ、このまま始まっちゃうわけえ。と、いう間もあらばこそ、あっという間に手術台?に寝かされて、部分麻酔を打たれ、あれよあれよという間に例のズズッという感じとともにカテーテルが入って来て身体の周りをスターウオーズの医療機器が駆け巡り、ハイ一丁出来上がり、次の人と交代、という感じに、検査は終了。息つく間もなく病棟に移動。未だ前の人が退院していないので昼過ぎまで食堂で待機。昼からは病院の食事が出て、病室に荷物を解き、お見舞いに来てくれたK子さんにちょうど27日発行の雑誌を買って来てもらって、万全の入院体勢に突入。これで1週間の休息に入れる(はずだった)。

夕食も終わって、寝ながらテレビを見ていたら「齋さん、ナースステーションに来てください」の呼び出し。ドキッ。何事がめっかったかと、急いで出頭。いたのは若いお医者さんだった。検査結果のレントゲン写真がライトボックスに張り出してある。なんかヤバそうだなあ。

話は、「結果は、凄く良好で、全然問題ないから明日退院」ということだった。ものすごい拍子抜け。混んでるから午前中で出てね、昼ご飯は止めておくよ。という追い打ち付きだった。1週間分の準備をして来ているんですけどとは、まったく言えなかった。いやはや。

次の日午前中、持って行ったものそのまま何も出さずに、行く時と同じ服着て退院。28日金曜日はもともと休日だったし、週末は僕が入院するとみんな思っていて休みをやりくりしてくれていたりしたので、そのまま休みにすることにした。


胞夫さんの方の手術はどうもうまくいかないようだという電話が入ったのはいつだったろうか。週末に、美術館のスタッフから「2日にテレビの収録があるのだが、どのように対応すればいいか」について相談の電話が入り、様々な状況が重なって、2日から通常どおり出勤することにする、なんて事に重なって、胞夫さんの話が来たのでなんだかもう混乱してしまっている。美術館からの電話の相談も、僕から言うと、これはこれで、なんでそうなるのかなあ、これまで僕の話聞いていなかったの?という内容で、これは忘れなければ、また別にきちんと書かなければいけない。こっちは僕の仕事というか、生き方の問題で大切なのだが、そこに父親胞夫さんがまったく別に絡んでくる。

明日は朝から、明美さんの病院に行かなければいけないし、その後、僕の病院に回って、別の問題を解決しなければいけない。もう遅いので今日はここまでで寝よう。でも、問題はこれからが佳境に入る。