2010年 6月 8日  快い曇。雲の向こうに青いもの、ああ、あれは宇宙か。

胞夫さんに胃瘻を着ける作戦は実行に移された。これは実に絵に描いたような外科の手術なので、様々な検査が伴う。その中の一つにお腹の詳しいレントゲン撮影やCT検査があった。そのいく枚かの写真に何か影が見えたのだ。胃瘻手術をお願いした南東北病院は、仙南にいくつかある総合病院のうちの主力のひとつで、こういう場合、すべての科目がよってたかって徹底した検査が行われる。

その結果、その影は、すでにほぼ全身に転移した腎臓癌だったことが判明した。

今回胃瘻がうまく出来ないようだということまでは聞いていたので、今後どのように介護を持って行くかの相談もあるから、施設のケアマネージャー(施設長)と看護士さんと弟と僕が、4人そろって話を聞いていた。そこにこの話が突然出て来た。みんな胃瘻をこの後どうするかという話だと思っていたので、一瞬呆然とし次いでシンとなった。ええと、それはすなわちどういうことでしょう。

それは、もうほとんど手遅れだということがわかったということだった。うまく保って6ヶ月。でも検査写真を見ると様々な部分が肥大していて、いつどんなきっかけで破裂するかわからない。ここまで来ると栄養を与えては駄目で、水だけ。経過を静かに見守るしかないということだった。


話は、まったく降り出し?に戻った。そもそも腎臓癌がひどくなったので、食欲がなくなったリ、傾眠がひどくなったり、点滴のための血管が見つけにくくなったりしたのだろう。齋の家系には僕の知っている範囲には癌に罹った人はいなかったので、こっちの方向はちょっと気にしていなかった。青天の霹靂。

彼はもう充分に歳を取っていたので進行は静かにゆっくり進んだのだろう。腎臓癌はほとんど痛みを伴わないのだそうで、それも発見が遅れた理由のひとつだ。何はともあれあとのまつり。点滴を楽にできるようにするため、今回の入院中にCVポートと言う点滴用の人工受け口の手術をしてもらった。パイプは繋がらないが、どんどんサイボーグ化していく。


さしあたって今後、ターミナルケアを巡って考えと覚悟を進めることになる。一応今日の報告はここまで。