2008年 4月19日 雨。でも春の風と一緒の雨。


 今朝、胞夫さんは、最近は毎朝6種類に増えた病院からの薬のほかに、テーブルの上にあった乾燥剤(確かに個別包装された胃薬によく似ている)もついでに丁寧にはさみで封を切って飲んでみるというひと騒動を経てデイサービスに出かけていった。アルツハイマーの父親と一緒に暮らすということは、このぐらいで動揺していたのでは持たない、ということはわかっていてもいやはやなんともうろたえるなあ、から今日は始まった。



 毎年新たな年度が始まると、全県下の社会教育主事(社会教育施設の先生ね)の人たちが県庁に集まって、今年度宮城県の社会教育はどうするかの連絡と打ち合わせの会をする。開館直後の頃、美術館からは僕が出席していたが、もうここ20年以上出ていなかった。18日ネクタイをして(みんな信じられないだろうが、僕は素敵なネクタイーということは普通には締める機会はなさそうなーを沢山持っている)一日出席。一日とあえて断ったのは、教育庁からの要請は、13時から来て、15分くらい美術館今年の重要事業について説明して、だったのだけれど、確かこの会はああいうふうだったという思いがあったので、あちこちにお願いして10時の始まりから一日参加させてもらう。15分だけの参加で今年の宮城県について何がわかるというのだろう。それとも、わからない方がいいことが、誰かに、なんか、あるのかな。80年代初頭、この会は1泊2日の会合で、変なオンツアンたちが泊まり込みで変な気勢を上げつつ何やかや話し合うへんてこりんな会だったのだ。でも、今では1日で終了。今はああいうことは何がどうなっているのだろう。
 一日、後の方で大きな会議室一杯のダークスーツの人たちの背中(事務局以外の女の人は僕の見た所2名だけだった)を見つつ、入れ替わり立ち替わりの説明(僕もその中の一人だったのだが)を聞きつつ確認したことはいくつかあるが、何しろ、日本の社会教育って、関わっている全員が、学校の先生の人事異動の人なのだ。あ、大切なのは、教育長や社会教育課長や生涯教育課長のようなブレインの人は行政職の人事異動の人だということね。だから、そのブレインの人達も含めて、僕の立場は至って異常で、もう30年も社会教育だけやっている人になっていた。どうもそういう人は、多分日本では、もしかすると、僕だけかもっていうくらいいないんだね。
 本当は学校の先生の人が、3年間ぐらいの間だけ、人事移動で突然公民館に回されて、着任2週間目で何もわかりませんと言い訳しながらこの会に参加して、ずうっと下を向いたまま、教育のことなんか、ざっとで良いんじゃないの真面目にするとお金使うばっかしだしという人達(多分。でもそうとしか思えない話が端々に感じられる)が考えた形式を整えることが優先されるとしか思えない様々な活動の退屈な説明を、多分眠らないためにメモを取り続け、時々タバコを飲みに中座しながら、一日の時間を過ごして、明日からの日本の社会教育は展開されている。いやはや、悪意に満ちた言い方だなあ。しかしそれだからこそ、ほとんどすぐに、では、社会教育機関としての美術館がすることは何かが見えてくる。ううむ、こういう活動ってほんとにもうからなさそう。だから公共でするのだね。せめて、この辺りだけでもみんな真剣に考えてくれると良いのになあ。
 学校の先生が考えると、やることが、全部学校みたいになる。なぜ学校というシステムで教育をするのかの説明は、日本の場合誰もしないし、むしろ教育って学校の先生の職業のことだと普通思われているから、このままだと、社会教育も、今の学校で起こっている様々な問題と全く同じ問題が起こってくるだろう。学校教育がこうなって社会教育もそうなったら、日本の教育全体がああなる訳で、教育がそうなった国は、国として修了することになるのだろうか?
 簡潔に言えば、社会教育では学校教育でしていることはしないという強い決心で事業を組み立てないといけない。けれど日本では、学校でしていることはしないというと、教育の現場では何していいのかわからないという状況に陥ってしまう。むしろそのこと(学校以外の教育実践に付いて考えること)自体がやるべきことなのだということに、誰も気づかないように長年かけて、学校で訓練して来ている様に、僕には思える。
 そんなことをつらつら考えて、なんかやること沢山ありそうと、雨をついて家に帰って来てみると、(薬好きの)明美さんは富山の置き薬を一箱あらかた飲んじゃってるし(彼女は風邪を引いたんだそうだ。僕の見る所、ただのタバコの飲み過ぎ。感冒薬を飲むと胃腸薬が必要になり、という具合に次々飲んでいってあっという間に湿布以外の薬がなくなってしまったみたい)、胞夫さんは最初に言ったような具合だし、こういうことを気に留めていると、僕の方の脳の血管が心配になるので、ほとんどのことはちゃらんぽらんで進めることにして毎日が過ぎていっている今日この頃。