10月4日 明るい秋の青空の見える曇り空。昨晩衣装棚の中身を衣替えした。

 もう齋は死んでしまったのではないかと、みんな思っていなかった?今見たらこの前の更新が7月末ではないか。この前の更新からここまでのやたら暑かった今年の夏、私は簡単なブログの更新をする暇も作れ/らないような生活をして過ごしていた。
 この夏一番大きく変わったのは僕の父の胞夫さんでアルツハイマーがだいぶ進んできた。たぶん、アルツハイマーを巡るブログは沢山あるにちがいない。そのぐらい、一緒に生活して観察していると、人間が考えたり、記憶したりする事ってこういうことだったのかという発見が沢山起こる。彼をめぐる様々な毎日は、機会があったら別に書こう。さしあたって、ここまでの日々の報告。

 胞夫さんの毎日が調子悪くなるにつれ、それに反比例するかのごとく(昔、精神分裂症といわれていた)統合失調症のカミサンは調子が良くなって、幻聴を抑える薬はそのままだが、安定剤はやめてみることになった。もちろんそれ自体はありがたいことで嬉しいのだが、もともと私は女の人なんだという、昭和26年生まれの教育を基礎的に強く受けた、五人姉妹末っ子の彼女は、様々な家事を思い出したように不定期てくれるようになった。ただしそうなると、彼女の地の部分が出てきてしまい、細かい毎日の生活を巡ってやっと組み立てが安定してきていた僕のやり方とのズレが沢山出てきて(なにしろ彼女の調子の悪いほとんどの日常は、僕のリズムで家事が進められているわけだから)、その後始末のようなことが結構大変になる。休みがそれらの修正に使われて、何だか休んだ気がしない。なんて言うような心持ちで生活しているので、ブログの更新まで気が回らない悪循環が起きていた。でも、これって「悪」循環なのか?
 慌てないで、ゆっくり、なんて日頃言っている自分のやり方を、きちんと(この「きちんと」って言うのがまずいけないのだが)点検しなおすいい機会なのだということに気づくのにしばらくかかる。で、気付いてしまってからも、そっちのペースに、これまでのやり方を少しずつ変えていくのに又しばらくかかる。やっぱりこれは悪循環か?
 そうこうしているうちに、胞夫さんが「ショートステイ」というお泊まり介護を使えることがわかって、1週間程施設に泊まってみる練習を始めた。月から金までは毎日デイサービスに連れて行ってもらい、土日はヘルパーさんに来てもらって、話し相手をしてもらいながら昼ご飯を作ってもらう。時々1週間お泊まり。お泊まりの間にカミサンとの毎日の修正。ところが9月から法律が変わり土日のヘルパーさんが来れなくなってしまった。すると齋正弘家では、自分で自主的に動か/けない人は土日はお昼抜きになってしまう。胞夫さんは自分のポケットマネーでどこかの食堂に食いに出かけ飢えをしのぎ始めた、ようだ(未確認、又は確認不可能)。でも、これはアルツハイマーの人にとっては悪いことではないと、僕は考えている。まわりの人は少し大変なことが増えるけど。これは「悪」循環ではないな。
 美術館での毎日は、今年の11月末から来年の10月まで約1年間続く「宮城県美術館25年目空調設備大改修工事休館」に向けてあわただしく過ぎた。僕たちの教育普及部には直接の忙しさはないけれど、休館前の大規模な展覧会があるので、それを巡っての活動があった。仙台市内の図工研有志の先生達との個人的な活動(美術の勉強会)も何回か行った。
 美術は大変個人的な行為なので、美術館で行われる教育活動の基本は個人におかれる、というのが僕の考えている美術館教育の立場だ。ここに視点を置いて様々な美術を巡る教育的な配慮をともなう活動を考えてみると、これまでの美術館(だけではなく美術全体の)教育活動の矛盾が見えてくる。でも、これまでのようなことをやらないとすると、何をすればいいのかの先が見えてこないのでみんな躊躇しているかのように思える。「でも、そこにこそみんなの脳みそを絞ったアイディアを期待したい」とかいう考えを巡って、図工研有志の人たちと何回か長いメールのやりとりなんかもあった。美術は個人が基本なのだという視点から見ると、夏の「日本彫刻の近代(モダンエイジ イン ジャパニーズ・スカルプチャー−日本彫刻の中に見る/ある近代ね)」と、秋の「日展100年(文展・帝展・日展の100年−文部省(国)は(書画骨董の画ではなく西洋から来た)美術をこうしたいと思っていたのだな)」は、なかなか見応えのある展覧会で、なるほど、日本では、近代ってここいらあたりから、こういうふうに、こっちの方に来たわけね、というみかたでみればううむなるほどと納得できる作品群だった。私たちは、これからどっちに、どの様に行こうとしているのか。おじいさんの悩みは深い。機会があったらこれらについても、別に書きたい。
 8月の最終土日を挟んだ、24日から28日まで、僕は岡山県にいた。25から27日まで倉敷の大原美術館で開かれていた「チルドレン・アート・ミュージアム(略称チルミュ)」という、子供を対象とした夏休みの企画にオブザーバーとして呼ばれたのだ。毎日体温を越す温度の空気の中にいて、いろいろな動きや作品をじっと見ているという至福の時間だった。27日、和室の講堂で、大原美術館の数十名の美術館実習生を含む100名ほどの人たち、と子供と美術館教育の実践方法を巡るシンポジウム。パネラー3人は、偶然というか必然というか昭和25,26,27年生まれの人。僕以外女性。何かを象徴しているのか?
 この夏の美術館での活動と大原美術館での活動を通して「ワークショップ」という言葉の使われ方、というよりその概念の、僕の概念との違いの大きさに愕然とするところがあった。みんなの言ってる「ワークショップ」って「講座」や「授業」とどう違うんだという感じ。この辺の修正はもうあきらめた方が良いのかもしれない。だからこそ、せめて自分の活動の時は、注意深くワークショップになるように、組み立てよう。
 2ヶ月分を書こうとすると(今書いてわかったが、結構中身濃いね)この辺で、疲れてしまった。あたりまえだな。さしあたり、今日はこの辺で終了。できるだけ、短い期間で更新するようにしたい。