4日に、7月以来更新していなかったという話を書いてからブログを呼び出して読んでみたら、8月にも9月にも幾つか文章を書いていたのだった。こっちのiBookシェルで下書きをしてメモリースティックであっちのパワーブックに移して登録とかやっているので、後で通して読むと何だかわからないことを書いてしまうことになる。勘弁ね。
思わぬところで美味しいコーヒーを飲む機会があって、嬉しく楽しく飲み始めたら、そこの人が、ここには「お父さんのひとりごと」置いてあるんですよと出してきて見せてくれた。ちゃんとプラスティックのカバーが掛けてあってまだしっかりと原形を保っていた。僕のところにももう一冊しかなくて、それはすぐ手の届くところに置いてはあるのだけれど、そんなに頻繁に手に取って読んでいると言うものではない。しばらくぶりで、パラパラとめくって、幾つかを読んでみて、そして、のめりこんだ。このエッセイ面白いね。自分で言ってもしょうがないが、つい、次は次はと読んでしまって、時間のたつのを忘れてしまった。生きの良い時代というのが、人間にはあるのだなあ。お爺さんになったので、もうこういうのはいいだろうなんてタカをくくっていると、子どもと一緒に生きるって、そういうものではないでしょうなんてことが書いてあったりする。いやはや。いつも、真剣に襟が正されているかどうか、点検しないとだめだなあ。胞夫さんと明美さんと毎日えっちらおっちら生活して、少し「もううんざりだぜ」と思い始めていたところにこの文。書いてるのが若い頃の自分だと思うと、遠くから明るく暖かい光をさしのべてくれているようで、何だか少し肩の 力が抜けた。こういう文、書いておいて良かったなあ。ということは、自分の子供はもちろんこれら沢山の子ども達と一緒に生活できて良かったなあということか、ついでにお母さんとも。こういう結果、今、自分はここにこうしていることになったんだ。