07,05,22 本来なら外に遊びに行くための天気。空気の乾いた高曇り。

 4月28日に、カヌーが届いたことは報告したのだったろうか。青いプラスティックの一人乗りのカヌー。
 今、宮城県美の常設展に、宮脇愛子の「作品3−2−62」という絵画が展示してある。これは、1,5㍍×2㍍ほどの平面上に、一本のチューブから一気に、中に入っている全部の絵の具をひねり出した縦長のビチャッを、横に規則正しく並べて乾かしただけの作品なのだが、ただその数がざっと200ぐらいあって、その平面一杯、上から下まで、横ぎっちり並んでいる。何を描いたかとか、何をあらわしているのかという疑問や感想の前に、正しくは、まず「ひやーっ、勿体ない!」と叫んでしまうのが、昭和生まれとしては普通の反応なのではないか。絵の具1本300円としても200本だと6万円。6万円手元にあったとき、絵の具を200本買って、その全てを一気にピュッと順番に絞り出して乾かし、それを作品にするという作業を宮脇さんはした、という軌跡をここに見ることができる。作品横のキャプション(題名符)から割り出すに、彼女がこれをした(描いた?)のは1962年で、33歳だった。1962年は東京オリンピックの2年前で、ということは僕は小学5年ぐらいで、もう生意気にすっかり物心が着いていたから、あのころの日本の毎日を思い出すことができる。今の日本になる始まりの最初のように思える毎日だった。そのまま進んで1970年に、大阪万博につながる毎日だった。26歳から今いる宮城県美術館に関わり始めたから、33歳は開館2年目かそこらで、僕の毎日は、怒濤のように教育実践を始めた頃だ。ああいう時代に、そういう年齢の宮脇さんは、こういう作品を、ある量のお金をかけて、制作した。
 もちろんお金の価値は、その時とはもの凄く違ってしまって、あの頃の6万円は今だと60万円かもしれないけれど、6万円ほどの思わぬお金が手元に出現した、2007年に生きる、55歳男子の僕は、絵の具を200本買って200回ビチャッとはしないで、静かに青いカヌーを買った。これでよかったのだろうか。これでよかったのだ。

 4月28日。その日は振り替え休みの日で、朝から良い天気の日だった。午前中、たのんでいたアウトドアショップでカヌーを受け取り、店の人たちと相談して釜房ダム湖で進水式をすることにした。近くでは、初心者はあの辺が適当ですよと勧められたのだ。下の娘達と一緒に、車の屋根に船を縛り付けて(全長が15㎝、全高が3㎝長くて、微妙に車の中に入らないのだ。)そのまま釜房湖に行ってみた。僕が記憶の中で知っている釜房湖は、湖畔の茶店の裏に砂地の岸が現れていて、そこからゆっくり水に入れるはずだった。でも、今は、農繁期。ダムに水は満々とたまっていて、確かに茶店の裏から湖面にはおりられるけれど、コンクリートのスロープの下にうち寄せられた木の枝を中心としたゴミの間から突然水面に出るほかないのだった。一人で湖面に漕ぎ出すと言うことがいかほどのことかということは、漕ぎ出してみないとわからない。
 船を波打ち際と直角に置き、その前半分を水に入れ、自分は真ん中に着席して、反動を付けズリズリと前に進む。すっかり水に浮かないと、カヌーはただの重い余計な体の一部でしかない。で、すっかり水に浮いたとたん、それは、水の上に実に不安定にユラユラ漂っている体の一部になる。地面に着いているときと、浮いたときのこの落差。今まで、経験したことのない状況。あっ、転んでも手が付けないんだ。自転車やモーターサイクルに初めて乗って、走り始めたときと、爽快感や緊張感はほとんど同じだが、「気持ちよくおっかない」部分が違う感じ。転んでも手が付けない。自分の意志で転べるけれど、でも、だから転ばないぞとは思えない。転ばないようにできる自分と実際に転ぶ自分の間で、話し合いをしながら行動を決めていくような、もどかしい感じ。
 本で読んだことを反芻しながら、まずパドルを動かしてみる。掻くのではなく、反対側を押し出すように、右、左、右、左。真っ直ぐ進まない、聞いたとおりパドリングしてるのに。普通右のオールを掻いたら反対の左に曲がるはずなのに、右を掻くと右に曲がっていくのだ。でも、体(腰)は左に曲がると思ってそっちに曲がりやすいようにひねり始めているのに、船は右に曲がっていく。体と進路が逆だ。あわてはしないが、やや動揺気味に「こういうところで慌てるのが最も危ないのだ」などと思いつつ、右を掻くともっと右に曲がる。なんてことを繰り返しつつ、ふと気が付くと、おう!何と言うことだろう!、私は岸から遙か!離れた!、広い!湖水の真ん中に!(ほんとは岸からほんのちょっとだけ離れたところ)いるではないか。もう、目鼻も見えないぐらい離れた岸辺では、娘達が笑って手を振っている。逆に言えば、まだ目鼻の場所がわかるほどしか離れていないということなのだが。でも、周りは、もう波とうねりの渦巻く大海原に見える。そこまで、夢中できたので意識していなかったが、船が安定するように、岸にうちよせる波に対して直角に進んできてしまっていたので、岸から、こんなに!離れた!真ん中まで来てしまったのだ。ここでなんとかUターンして岸に戻らないと、私は、進水式にして遭難式と言うことになってしまうのではないだろうか。
 私は急いで船を回し始めた。すると、当然、船は、波と並行になる。湖水の真ん中で横波を受けるということがどういう感じなのかは、横波を受けてみなければわからない。別に湖水の真ん中でなくても(実際にそうなのだが)、横波を受けるのはあんまり気持ちのいいものではない。なんて、今は書けるけれど、その時は「やばい、ここで沈む!」と一瞬本当に思った。いろいろなことを知らない人生は、本当に何でもないことが劇的に面白いのだ。
 そもそもなぜ、僕が左に曲がりたかったかというと、船の進路の右側に、水が少ないときは岸辺に生えている大きな柳の木が、今は、満水なので梢だけ水面に出ているところがあったためだ。カヌーで、そのての木の茂みに挟まれこんでしまったときの大変さは、本でも、話でもけっこう聞いていたので、事前に避けようと思ってのことだった。真っ直ぐ進むことさえままならないのだから、これは賢明な選択といえるだろう。でも、船は右に進んでいく。波は横波だ。私はどうしたものかと、ちょっと何もしないで、船が進むに任せてみた。要するに、簡単に言うと、途方にくれた。すると、船は、惰性と波と風を受けて、くるりと、岸を向くのだった。そういうことなのだ。人生は私の思うとおりだけにはいかないのだ。私は、再びパドリングを開始した。
 到着の接岸に又ひと騒動あった。そもそも、この時期のゴミでゴチャゴチャしている岸辺で接岸できる所はすごく限られていて、そこに舳先を付けるための細かいオールさばきは、私の習得している技術(というほどの物でもないが)では少し手に余った。最後は、舳先に縛ってあった細いロープを岸に投げて引っ張って寄せてもらったのだが、どうしても最後は、水の中におりなければいけないのだ。でも僕は、普通の靴を履いたまま船に乗ってしまっていたのだった。ザブザブ、ポタポタ。まったく、最初に考えればわかるだろうって、ちゃんとサンダル持ってきてあったのに。
 美術の作品を作るという活動は、今の僕にとっては、たとえばこういう形で過ぎていく。