風の見方 風倶楽部風探検実践案

対外的副題 充実した人生のための街見学学習補助事業
本当の副題 総合的になんかやった気のする充実した暇つぶしのためのお散歩の練習

●現在の状況
 総合学習や施設見学、遠足等、様々な理由で、子供達が美術館にやってくることが増えてきた。その前に先生達が下見と打ち合わせにやってくる。基本的に、人間は、学校に縛られているような若い時期に、世界を広く見るため、街のさまよい方を体験しなければいけないことになっている、ということのようだ。それは、とても大切だ。
 下見や打ち合わせの相談にのって、来館理由や、その活動の教育目標を聴くと、美術館に来ると言うことが、その目指すところと、どのように合致するのかわからなくなることが、時に起こる。美術館は遠足の最終目的地にしか過ぎないのに、「せっかくだから」そこで何か「美術的(それは造形的と同じだったりする)なおみやげ」ができる作業「も」したい、というように。美術館に来ること自体が目的なのか、美術館での活動が目的なのか、それとも、たぶん、両方なのか。その各々に、楽しい答があるのに、目的が曖昧なままだと、活動内容は中途半端に薄まってゆくことになり、楽しみも曖昧になってゆく。
 しかし、予定を立てている人たちで、このことに気付く人はごく少ない。又、気付いたとしても、なぜか従来どうりの流れでの打ち合わせに終始する。
 その結果、その下見で組み立てられた活動で来る子供達は、ごく常識的で、形骸化した街の捉え方を、概念化してしまう。
 時間をかけて、丁寧に相談をすれば、ほとんど全員の先生達が、自分たちが、なにげなく、子供達のためと思って計画してしまっていることは、何かおかしいと気付くことはできる。しかし、ではどうするかという方向に、話を広げてゆく姿勢にはなかなかつながらない。先生達が、街を使い込んでいないためではないか。街を施設の点在する地域としてしかとらえていないからではないか。

 都市を、点(ハードウエア 施設)の集合ではなく、有機的時間的な空間としてとらえ、それを自然の一部と同じように、自覚的に使い込む意識を持った大人が増えれば、街の総合的な力は、強く、大きく、そして「正しく」、広がることができるのではないか。子供達に、街を見学(見て学ぶ)させる目的はどのあたりにあったのだろうか、という疑問を、積極的、肯定的に拡大する思考は、このままの状況では、どこからも起こらないように思える。
 今のところ/今までのところ、「所さんの笑ってこらえて−ダーツの旅」は、常に東京からしかやってこないまま、地方の町おこしは進んでいくかのようだ。私たちの教育を振り返って見ればそれは当然のことのようではあるが、そろそろ変え始める時期ではないか。どこをどうすれば、私たちは、今そこにいることを楽しんで拡大する意識に変えることができるようになるのだろう。


●提案
 「街を使い込む」、という概念は、学校教育では未だ確定していないかに見える、このような街の捉え方と使い方の相談に、組織てきに乗り出すことはできないだろうか。
 個人が、一つ一つの場所で、単独の学習をし、まとめる、というこれまでの形からはなれ、街の気になるポイントどうしをつなぐ、システムや空間自体を楽しめる意識を、各自が持つ練習に、活動の重点を移す。一人一人が、システムや空間の移動を楽しむ余裕を持てるようになれば、そこで総合的(一人一人の視点を併せ持ってみることができるようになればというような意味)に見えてくる街は、一気に有機的な「モノ全体」になる。それまでの自分と違うシステムで移動すること自体が、自分の生活のリズムだけで流れていた、時間や、目の付け所の変化を促す。
 学ぶということが、新たなモノやことを知るだけのことだけではなく、既に自分の知っていることを有機的に組み立て直して判断し、展開し、それによって出てくる、目の前にあるのに「何だかわからないこと」を整理し、その理屈や有り様の理由を知っている人を捜して質問し、その答から、又新たな判断につなげるというような、自分を取り巻く環境を注意深く観察することを通して、今の自分の世界観を拡大してゆくという、学習本来の目標が現れ、実行される。これこそが、都市に出て、具体的に学習できる最も面白いところではないか。蛇足で言えば、「ダーツの旅」で行われていることは、実はこのことではなかったか。
●活動
いつ   実際の活動を行うのは、さしあたって、ウイークディ、9時〜15時。
どこで  主に旧仙台市街。理想的には、旧市電循環線内側及び周辺あたり。
誰が   当初、齋が。後 及び/又は、選別されたガイド。
誰に   一人で歩ける、10歳以下の学校等団体教育組織に属する、年齢による 
     が、最大20名以下の集団の、「引率者に対する研修会」を、最初、行う。
     後、その集団に対して、各々の要望に添ったオリジナルコース、及びガイドで     実施。要検討。
何を   探検という名称の、学習だけでない、年齢に応じた移動速度による道草散歩。
どうする 当初、県内の、小学校、幼稚園、保育園、子供アトリエ等、年少者教育施設、     団体に対して、文章による案内を出すとともに、専用のホームページを立ち上     げ、利用を広報する。アクセスしてきた団体と相談し、各個の教育目標に応じ   たルート、内容を設定し実施する。
     参加者の募集と並行して、学校教育の補助事業や、社会教育の中の地域振興事     業として企業からの補助金(メセナ)を要請し、社会教育事業として成り立た     ないか検討してみる。
     活動は、天候による変更をしないことを基本とする。
●典型として考えられる一つのスケジュール例
○ 0900 長町モールⅡ駐車場集合〜新しい裏路地を歩いて蛸薬師経由JR長町駅〜JR東北線で仙台駅〜ホーム連絡通路を通って、仙石線降り口〜長いエスカレーターを使って、仙石線連絡通路に降りる〜仙台駅地下連絡通路〜地下鉄南北線仙台駅〜青葉通り駅地下連絡通路〜七十七銀行本店待合室で休息通過〜東二番町通り地下横断歩道〜東二番町小学校金網の外から眺める〜イロハ横丁〜東一番町アーケード〜ベトナム料理店ショロンで昼食〜楽器屋・センダード光原社・ユイマール〜1400 肴町公園にて解散
○各々のポイントで、時間、参加者数、年齢、目標などに応じて、様々なオプションの選択が可能。JRで、北仙台駅まで行ってしまって地下鉄で仙台駅前まで戻る、とか、仙石線で、青葉通り駅から榴ヶ岡駅まで行き、駅東の表裏を歩いて仙台駅まで戻る、とか。一番町を巡って、あっちこっちの喫茶店でお茶とケーキを食べながら、裏表路地を歩きまわる、とか、広瀬川沿い遊歩道を使うとか。
○全体として、「散歩をすること」が目標で、何か新たに学ぶという姿勢は注意深く排除される。むしろ、これまでの生活経験を使って、そこに起こる状況を楽しむことは奨励され、そちらの方向に流れてしまうことが行われる可能性は高い。
○JR東北線、仙石線、仙山線、及び仙台地下鉄をフルに使う、しかし、仙台駅では降りないという意識。普段なら絶対降りない駅に降りる楽しみ。
○バスは使うが、ループルは使わない意識。でも、バスで行けるほとんどの所は、歩いて着ける、という、範囲と意識。移動時間の変化が目的なので、疲れない速度で歩く。
○時間は実はこっちのモノだという強い意識。いざとなったらタクシーで帰っちゃえばいいのだ、日本語通じんだし、という意識。「どこかに行く」のではなく、「どこかに行くまで」の考え方。
 というような所で知恵を出し合って、仙台を使った、街の中の散歩コースを考えてみてはどうか。これは、売り物にはならないのか。でも、あらためて、街を、様々な視点から考え直すというような場合には、何となく大切なような気もするので、売り物にならないとしても、何か違うルートで、必要なところに提案できないか。東西線どうしても作るほかないなら、せめて作る前にこれやってみて、とかいうふうに使えないだろうか。
一応終了。050225。