僕が見ているものは、
本当に、見えているものなのか?
僕が見えているものは、
あたかも、そこにあるかの様に、
あるものなのではないか。
2025年12月 1日
うっすらと温かい、厚い曇。
基本的に、急激な集中力の拡散が起こって来始めている、様な気がする。ま、大変な事が起こったと言う報告はまだしないで済んでいるから、このままで構わないと、思うことにしよう。
何はともあれ、この時期はアメリカンフットボールが、一番面白い時期なので、つい録画をして夜遅くまで見てしまっている。その間を縫って駅伝だ。
いやはや、僕はそんなに好きなものはない方だと思うのだが、数少ない好きなものはとことん見てしまう。特に誰やどこかのファンとかで見ているわけでは無くて、普段のつまらない練習を積み重ねて、ここぞという時に(多分)本人すら思いもかけない動きをしてしまう人間の肉体や、長い距離を一生懸命、淡々と走る人を見るのが好きなのだ。
だから、テレビ局が、いつも先頭あたりを中心に写すのがあまり好きではないし、嫌だ。先頭がもちろん一生懸命なのは知っている(当たり前だ)が、その時にビリになってしまった(ている)人たちや、前が見えている5番目あたりを一生懸命走っている人とかが気になる。活動としては、その人たちが一番活性化している筈なのだ。僕の経験では。
そういう人間の活動を、もっとじっくりと見たい。