日本の神様は、

こういう風に、

居る。

あそこにも、

ここにも。

2025年 7月24日

朝から湿った暑い空気。軽い風が吹いている。


何もする事がない時に、何もしないでいることは、僕にとってそんなに辛いことではない。若い時に、注意していないと、しなくてもいい事まで、何かやってしまったりして、周りに迷惑をかけた思いがあるので、歳をとって、何もする事が無いのは、ありがたい事だ。ただ、注意しないと、しなければいけない事まで、最近は、忘れてしまう事があるので、少し困る。困っているか?


明日、山形(市)に山形の若手の工芸展を見に行きたいので、今から、村田街道の石窯のパン屋に来週分のカンパーニュを買いに行く。山形で展覧会を観た後、これまで行った事のない、山形美術館に寄って来ようと思っている。確か、高橋由一の鮭の絵があったはず。宮城県美のは、確か伝=由一だった筈で、何が、ここまで明治の日本人にアラマキジャケを描かせたのかを、じっくり観られると良いのだが。おっ、時間だ、パンを買いに2CVをだそう。


 好きなことをやって良い、

と言われても、

その好きな事のバリエーションが、

そもそも目に見えているのだから、

しょうがない。



2025年 7月17日

湿度の高い、軽い風のある曇り空。


今、市役所から送られてきた市民アンケートを書いて封筒に入れ、ついでにこれを書いている。この次の日曜日に行く参院選挙もそうだが、こういうのに僕は正しく反応する。


今、ふと考えてみたが、僕は、権利ができて以来、選挙権を使わなかったことは、一度もないのではないか、と書いて思い出した、1回だけあるな。あれは何だったか、何かどうしようもない事が起こって、選挙に行かなかった事が1回だけあったはずだ。長年公務員をしていたからと言うわけではない。社会にいるという事の一つのつながりを強く感じるからだ。ま、当たり前と言えば、それまでだが。


今、昼少し前で、これを書いたら、下駄を履いてちょっと歩いて郵便局前(にしか、最近は無くなってしまった)のポストに入れに行く。ゆっくり歩いて行って、帰り道にあるコンビニにより簡単な昼飯を何か買って来よう。





 自覚する事だけが、

僕がここにいると言う

証明だ。

何と細やかな。


2025年 7月 8日

午前中からひどく暑い。高曇。


朝から、床屋に行く気満々。髪と髭は、気ままに充分伸びている。前にも書いたが、生まれて以来行っていた床屋が、代替わりしてしまって、自転車で行くにはちょっと遠いところに移ってしまった。その床屋に朝から出かけた。自動車で。


とは言え、僕の自動車はシトロエン2CVという1937年完成の設計を、二次大戦を挟んで1947年再開、僕のは1987年に製作したものだから、冷房装置とか、そういうものは影も形もない。自動車の基本思考そのものだけの自動車。そもそも今でいう、冷房用エアコンそのものがなかったのか。何はともあれ、暑い時は窓を開ける。最近は空気自体も暑いが、でも、風が入る、というやり方。意気揚々と出かけたが、こん週は月始めなわけで、今日は第一火曜日の休みだった。今、街を一回りして家に戻り、しばらく開いていなかった、ブログを書いている。部屋は冷房が効いているが、汗だく。


今気になって調べたが、ここしばらく、僕は、ブログを書いていない。こんなに書いていなかったんだ。歳を取ると、時間の流れが自分だけの基準になる。いやはや。自分だけの基準って、日本語になっているか?いやはや。


7月の第1土曜日まで、ほぼ毎土曜、児童館の人たちとの活動に呼ばれて、坪沼八幡宮あたりに夕方から夜に出掛てホタルを見たり、電車で東仙台まで出て、歩いて新田の児童館に行き、2歳以下の人たちと砂遊びをしたりした。これは、なんか変な格好の帽子を被った半ズボンのお爺さんが、突如折りたたみの移植ゴテををベルトのポーチから取り出して、普段使われていない砂場で大きな砂山を作ったり、それにトンネルを掘ったりするだけなのだが。立派な2歳児は、すぐには寄ってこず、しばらく遠くで眺めていて、大丈夫そうで、あんまり自分のことを気にしていないようだと分かってからそっと、一緒に遊び始める。小さい人間は普通、自分で遊ぶ人たちなので、彼らが自分で遊ぶ方が大切だと、僕は思っている。何もしないでじっとそこにいるだけの年寄り。助けてくれるではなく助けてあげるための年寄り。

さて、明日は、本当に床屋に行けるだろうか。