自分で決める。

自分で決めた、と思っていた。

ひょっとすると、

それ自体が、間違っていた?

2025年 4月15日

微風。高曇。


最近、車での遠出をしていないので、僕の和蝋燭のスペアが心細くなってきた。

これまで、和蝋燭は、山形の鶴岡、致道博物館に今年の日本刀新作展をみに行ったついでに、鶴岡旧市内に古くからある和蝋燭店でまとめ買いをしていた。山形の鶴岡まで出かけて、日本刀をじっくり見学し、そのあと昼飯を食いながら、古くからの鶴岡の街並みをふらふら散歩し、ついでに蝋燭を買ってくる。新作展はたいてい秋にあったはずだが、昨年はいかなかった。何故だったろう?長い距離を走るための自動車が、無かったからか。僕の古い2CVで行くのに、僕は何も心配は無いのだけれど、一緒に乗って行ってくれる人が、どうも不安な様なのだ。休み休みゆっくり行けば、そんなに問題はないと思うんだが、そうも言っていられないほどに、僕の2CVの見た目は「きている」様だ。

ああ、それから、日本刀の新作展が、昨年は、僕の家のすぐ側の竹駒神社でもあったことが大きい。何はともあれ、昨年は、地元に、静かにいた。そうして、僕の和蝋燭のスペアが切れ始めた。ううむ。


こういうふうにして、僕も、僕の父親の胞夫(えなお)さんを老人化させていっていたのだろう、と、今、深く思う。老人化はこうして深く潜行する。