前から知っていること。
ほぼ知っていると思っていたことは、
大抵、より深く、広い。
地を見、空を見る。
2025年 1月 5日
朝は、抜ける様な晴天だったのだが、午後になって深い曇天、薄寒い。
さて、もう5日だ。だいぶ前に、僕の古い車の冬タイヤ交換のことを書いた。その時痛めた右手親指の捻挫がいまだ痛い。あまり気にせずゆっくり動いている。
12月の30日あたりから。お正月3日までは、僕はずうっとテレビの前だ。駅伝を見ている。中学校以来、僕は長距離のランナーで、誰がどうというのではなく、少し長い距離を一生懸命走る人たちを見るのが好きだ。早い遅いが鮮明になってしまうのが少し残念だが、ま、そいういことも含めて、一生懸命走る人を見るのが好きだ。
大学に入って以来僕の興味の中心は大きく美術に向けられて、あまり走る生活ではなくなってしまっている。だとしても、いまだに長い距離を自分の力だけで移動していくのは、僕の生活の中での大きな喜びの一つになっている。だいぶゆっくりになってはいるが。
自分から年賀状を書かなくなってからだいぶ経つ。流行り廃りでなく、アメリカから帰ってきてほぼすぐくらいから、そういう儀礼的なことはやめてしまったと記憶している。こちらから書かなくなるとすぐ、来る年賀状は一気に減る。今年来ているのは、多分、住所録に登録されているのだろうなと思われる何通かだけになったが、それらも、ただ登録してあるだけでなく、敢えて送ってくれている所のように思えて、嬉しい。これから、とっておいてある絵葉書から選んで、必要な返事を。必要な人に書いていく。
2025年 1月 8日
寒い空気の深い曇。しかし乾いている。
年賀状の返事を書くために、ストックしてある絵葉書を引っ張り出したら、一緒に挟んであった、だいぶ昔の写真が1枚こぼれ落ちて来た。どこか街の中の公園で、僕が、就園前の小さい人たちと遊んでいる。
半ズボンの僕はパタゴニアのTシャツとサマーキャップで裸足。8人ほどいる子供達はほぼ全員がパンツ1丁の裸で、地面に少し広い川を作り、画面の左から右に向けて水を流している。左端で川は枝分かれをし、中洲ができている。右端でその枝分かれした川に橋をかけている人が見える。
遊んでいみんなの後ろに、麦わら帽を被った、多分お母さん達が4人、全員歯を見せて(笑って)立っている。これは多分、「穴を掘る」という僕の活動の極初期の記録だろう。8人いる人達の2人は、向こうのほうで一人でブランコに乗ったり、木の下で違う遊具で遊んでいる。その子供達を見ているお母さんが一人、ブランコのそばにいる。
まだ暑くない夏だった頃の、理想的な午前中の、齋Gと遊ぶ「穴を掘る」活動。この写真の時は、直接お母さん達に頼まれたのだったか、児童館から呼ばれたのだったか、今は記憶にない。でも、何回か、こういう思い出すに、顔が綻ぶ様な活動が、あったことは記憶にある。こんな事(活動)は、昔どこの公園でもやっていたし、その活動は僕ではなく、たいてい小学4年生ぐらいの人がリーダーだった。
言ってもはじまらないが、小さな人間は、ほおっておけば誰でもこのぐらいのことはやる。少し周りを見ることのできる人が、軽く始めるきっかけを出せば、どの様になるかはわからないがー人によって違うからー名前のつかない遊びは始まり、できる。
大人が遊ばせるのではない。子供が自分で遊ぶー時間を潰すーのだ。大人はよく見ていて、そのきっかけを思い出させるだけで良い。
ひょっと出て来た1枚の(多分、デジタルでない)写真から、しばらく考えてしまった。