これを担いで

走れというのか。

それだけでも、

戦争なんてできない。

2022年7月25日

蒸し暑い曇天。僕の家にも、クーラーというものがある。ほとんどの電力は太陽光発電だが。

ふと我に帰ると、今月7月10日は僕の71歳の誕生日で、70歳を過ぎてからの、自覚される体力の落ち込みはひどいものだ。と言いながら、頻繁に仙台市内の児童館で、異なる子供たちと結構な数の活動をしたりしている。こんな日々が、ここ数ヶ月続いている。このブログの更新の回数が減っているときは、へたばって、それどころではない、ということだ。


昔の様には体が動かないとはいえ、活動を頼まれると、体とは関係なく行動が始まって、仕事のための動きは1日1個と決めているのに、その準備を始めてしまう。僕の準備はワークショップのための準備なので、始まるとすぐに広がっていって困る?。


特に教育を伴うWSは、参加する人たちにその主体が(意識的に)やる側に移るので、ファシリテイトする方の準備の範囲が大幅に広がる。活動場所の下見を、こちらがやる予定の少し外側まで(たとえ教室の様な場所でも)意識できる程度にする。

児童館だと、ある程度早めに出かけ、遠周りをして、周りの、子供達が入ってくるルートでたどり着いてみる。最近の小さい人たちは、僕の頃とは大分に違った毎日を送っている様だが、霊長類人間の幼体としては、基本的な興味や見たいものはそれほど変わってはいない様だ(と思いたい)。なので、近くのコンビニとかお寺とか神社とか脇道とかを回りながら、舘のある地域のその日の状況を楽しんでおく。活動場所に着いたら、しばらく外でぶらぶらし、その日のその地域(=場所)の環境を観察する。もちろん本当の様にはできないのだが、できるだけ意識的に、初めてそこに来て遊ぶことになった、子供の様に観察する。


僕はWSのファシリテーターなので、やることと、その目標(何を、なぜするのか)は既に決まっている。ということを、そこで、その状況で、今日、行うのだ。活動の実践は、実はまだ何も決まっていない。そこでその状況でさて何をしようかなと、実際が始まる。

僕が職員集合時間の1時間も前に来て、児童館の外のベンチでコンビニのコーヒーを飲みながら、ボヤッと園庭を見ているときは、僕の内側では、そういうことがめまぐるしく動いて/働いている。今、説明してみて、僕も驚いた。でも、普通のWSでは、まったく普通のことなのだ。ここまで入れてワークショップ。だから、多分、やる方も、面白い。

美術館で働いていたときは、美術館がフィールドで、ここに述べたことは毎日の仕事の中に入っていた。美術館の外に出て、初めて、今書いた様なことが意識できるようになった。様々な所に書いた文章には、同じことが書いてはあるが、具体的にはこういうことだったのだ。


今回の依頼は、近くの公園探検で、僕の美術館探検を知っている人たち(今は大人)が、今の子供達といつも使っている公園をどの様に見直せるかが基本にある様だ。企画そのものが、誰のどの辺に、どの様に、どちらを向いてあるのかは、最近は様々聞いても(多分僕には)良くわからないことが多い。最近の日本社会の思考方法と方向に、僕は、もうついていけなくなっている様に思える。さて、公園探検は、そんなに長い活動時間でもなく、準備で潜り込める所も限られていたので、それなりに進行した。


というより、この活動の下調べで、最近はとんとご無沙汰の幾つかの博物館に出かけた。自分のために使う博物館と、より広範囲の人たちを対象に見る/考える博物館とでは、様々気になる、違ったことが見えてくる。そのために、「博物館教育」は特別なジャンンルとしてそこにある。

博物館で研究されていることは、その総合として、今、私たちが生きているこの社会を、個人が深く広く理解するためにある。だから、基礎教育があるのと同じに、そこで見るー知ることができるのは、「新たな情報」ではなく、その時点でその個人が知っていることの「新たな組み直し」なのだと思う。美術(館)を含めて。

新たな情報に興味を持つことは否定されるわけではないが、だとしても、それらの基本にあるのは、そこにいる個人なわけで、「はい黙って、こっちを向き/聞きなさい」と言う情報伝達ではない様に思う。ううむ、できるだけ、正しく、その状況を伝えようとすると、なかなか本題に入れない。


思い切ってまとめて言ってしまえば、博物館教育で大切なのは、そこでの最新成果を来館者に伝えること(だけ)ではない。そこでのその研究成果が、いかに各自の生活の基礎に深く関わっているかを「自覚させること」だ。だから学校教育と同じに、まず、そこにいる参加者が何歳で、どの様な生活の基礎の上に生きているかを、できるだけ読み取ることが、最初で最大に大切なことの様に思う。そしてそのために展示品「だけでなく」、その博物館が持っている「すべてを使って」、そこにいるその人(たち)に、そこにいるその生活が、いかにして組み立てられてきたのかを各自にじんわりと自覚させる。この辺りが博物館教育でもっとも気を付け、点検されるべきところなのではないか。

自覚の状態は各自にしかわからないのだから、そこだけを気にしていては話は進まないし、終着点も、もう考えられないほど拡大していく。


なんとなく気付いた人はいるだろうか?今回僕が出かけたのは、地元の郷土資料館。典型的な文科系博物館だ。基本的な土地建物は、昔の歩兵連隊宿舎で、地元の小学生は「低学年」の時に全員クラスで、訪れるところ。昔が、3日前という自覚の人たちに、70年前の戦争や、その周りの生活をどの様にして伝えようというのか?

もちろん兵舎の展示物=寝台の毛布や銃架の鉄砲は、触ってはダメ。物がわかる=物を舐めるが、やっと終わったばかりの年齢の人たちに、最も伝えたいものに触ってはダメから始まるこの物の伝え方は、未だになんの点検もされていない。そもそも何を伝えたいのかを明快にし、ダメなら、そのためにはどうすればいいのかを考えるのが、博物館教育係の仕事ではなかったか? という様なことを、1990年代に口角泡を飛ばして話し合っていたのは、どこに行ってしまったのだろう。

展示解説とは、研究成果をそこに来ている人たちにうまく伝えることだ。博物館ではそこの展示物を見るという仕事しかない。くる人は、広範囲にみんな違う。図工だけで、視覚表現を勉強している人たちに、美術を理解?は、可能か? 10年前の震災ですら、如何に伝えるか悩んでいるのに。という様なことが、博物学や民俗学では、何がどの様になってここまで来ているのだろう。ということさえ、話し合ったことさえない様な展示と方法。

僕も、意識してみたのは、イギリスとアメリカの戦争博物館だけだが、もう少し真剣な考え方がそろそろ示されないと、最近の国際状況を見ていると心配になる。戦争に反対/賛成ではなく、対峙するということは、何をどうすることなのかを子供達自らが心から思わないと、、。

どちらかに与するのではなく、それを見た人たちが自ら具体に思いを馳せ、自ら(その時点で構わないから)自主的に考える。それが、民主主義の博物館の仕事ではなかったか。いやはや息が上がる。


民俗郷土資料館と併設されている兵舎は、一体何の、どこが、郷土、民俗、資料なのかを深く広く僕に問いかけた。