表現しようと頭の中を覗き込む。
その過程で、思いはあっちこっちに
飛び回る。
というのが表現か?
2021年 9月 9日
高曇り。ところどころ青空、秋の。乾いた少し暑い空気。
昨日だけ雨が降った。仙台の古い小学校の児童館で、船で遊ぶという活動をすることになっていた。狭い児童館の館庭に孟宗竹を縦に割った水路を作り、小さい船を作って競争して遊ぶつもりだった。
もともとは、仙台駅東口から宮城野原野球場までの通りにある歩道の渡渉水路で、僕が小さい木の船ー長さ2センチもないようなーを2隻作って、競争させて遊んでいたことを仲間に話したら、それ面白いから子供にさせましょうということになってしまったのだ。
流れていく水とともに、よろよろ動いていく小さい船(目を放すと見えなくなる様な)をジッと見ながら、こちらもよろよろと動いていき、ゴールまで手を触れずに行って、こっちが勝ちとかいうだけの遊びは、相当大きくなって(ワビサビを理解できるくらい)からでないと、面白くないのだが、なぜか、日本では、こういうのは、子供に回されてしまう。
とはいえ、いったいどうなるのだろうと思っていたら、天は我に味方して、きちんとした雨降りの日になった。狭い館庭はいくつかの水溜まりができ、そこをぬって川が出来始めている。水路を作るつもりで切ってきた(近くのお宮の裏庭からもらってきた)孟宗竹があるということはその葉っぱもあるわけだから、集まった人たちと笹舟を作る。これが初めてという人が多いんだなあ。笹舟制作教教室をまず始める。出来た人は、まだの人に教える。その間に大人は流れをつないで、水溜まりを大きくしていく。と考えていたがそんなことをするまでもなく雨はどんどん降ってきて、水溜りは全部繋がっていった。で、こっちの端に細い竹を2本立てSALEGPのようなゴールにして、反対側から笹舟を流す。水面に置いたら触ってはダメ。フウフウ吹く人や、夏に違う活動で作ったうちわを探し出してくる人や、大騒ぎ。雨降ってくるし。雨つぶの爆弾攻撃はあるし。だいたい笹舟は、すぐ浸水してくるし。でも、運のいい船は、ちゃんとゴール。大騒ぎの大面白さ。外に出る前に透明ゴミ袋で、各自カッパを作ってから始めたのだが、スカートを履いた女の子たちの何人かは、しゃがんでやるので裾だけドロだらけ。しかし、こういうの本当に面白い。大人がそんなにいろいろしなくても、本当に面白いことはいつだって本当に面白い。僕だけか?