教育の主体は
常に受ける側にある。

その人がしたいことの
相談に乗る。=教育。



2013年 7月16日  曇り。乾いた涼しい空気。無風。

明日、仙台市泉区K茂小に図工の授業をしに行く約束がある。というブログを、今、仙台宮城インター脇にある、そあとの庭で書いている。今日は火曜日で、毎月第2と第3火曜日、僕はそあとの庭で「何でも相談」を開いている。ほぼ毎回児童館での様々なワークショップの相談がある。いつも具体的な相談なので毎回快調。

この前の日曜、公務員になったばかりの頃に住んでいた、向山にある私立幼稚園の父親会に呼ばれて朝8時から回りの森の探索。9月に父母会主催の活動をするので相談に乗ってくれというリクエスト。始め美術館に来るための相談だったが、せっかくだから自分達の身の回りで探検をということにして、それへの回答。しばらく(20年ぐらいか?)ぶりに県中央児童館下の林(森?)に男子5人で入る。踏み分け道は一応全部点検し、メインロードから枝分かれする高校や小学校へのルートも見て回る。道は僕がいた頃と同じままだった。だが彼等は、中央児童館(現在建物立ち入り禁止)を含め、ほぼすべてのエリアが全く初めてなのだった。天気がすごくよかったので、木漏れ日凄まじく、苔むした廃墟?もあり、全くトトロともののけの世界。僕も含め全員声もない程に感動。何もしないで、丁寧なお散歩をするだけでいいよねとなる。10時頃に終了。せっかくなので、しばらく来ていなかった、野草園、大年寺山を廻って帰宅。どちらも、記憶していた物よりぐっと近代化されていて、動揺。東北大植物園にも行ってみなければと思う。帰り道、今年初めての冷やし中華を食う。夜に、連絡していた友人が残っていたオフロードバイクを取りにきた。これで、今、僕の家にモーターサイクルが1台もない状態になった。特に何ということはないのだが、なぜか心もとない不思議な感じ。新たなカブは9月に来ると連絡あり。しばらくこの心細さを楽しもう。