解放されていれば、一人でいることはそんなに困ったり苦しいことではない。


だから学ぶべきは、個人を解放する練習法なのではないか。


2012年 7月 9日 
湿気った空気の高曇り。長袖を着ると汗。

「お父さんのひとりごと」を読むと書いてあるが、基本的に僕はずうっと「一人で遊べる人」になろうとして生活/人生を組み立ててきたように思う。だから2011年度が終わって、ほぼ毎日が日曜日状態になった時、これで、「S氏(俺のことね)の優雅な退職生活」が始まるのだと思って嬉しかった。この考えは大体は正しかったのだが、大切な所で間違っていたことがすぐに判った。この前のブログで「これでS氏の優雅な生活が云々」と書いたのはその経験が下地にある。その話を書いておこう。

退職したばかりのある日、朝刊に「猫神様の報告書」ができたという記事が乗った。怪しいでしょう?猫神!ですよ。丸森の「ふるさと館」に問い合わせよ、とある。最近猫はやたら人気がある。大切だけど地味で、人あんまりはいんなさそうな展覧会で「良い猫の絵が一枚ありますよ」と広報しただけで突然入場者が増えたりするのを、美術館にいたとき体験している。僕は特に猫が好きなわけではない。でも、猫神様は凄く気になる。すでに退職し優雅な生活を送っている(はずの)S氏(しつこいけど俺のことね)は、こういう時すぐに動けるのである。もう僕は毎日が日曜日なのだから、電話したりせず、そのまますぐ(良いねえこの言葉の響き。そのまま!すぐ!ですよ)丸森まで出かけることにした。良い天気の日だったので、2CVを引っ張り出し、屋根を開けて、トコトコ丸森まで走った。ここまでは、問題なく「優雅な一日(になるはず)」だった。

阿武隈川の橋を渡って町に入るとすぐ、丸森町内観光案内図が町営無料駐車場の脇に立っている。丸森町は大変広くて、僕が知っている丸森はそのごくごく一部なのだということが判る。町の観光ポイントに小さい赤丸がついていて名前と電話番号が書いてある。その中に「ふるさと館」もあった。地図を見るまでもなく町並はそんなに大きく無いことは知っていたので、携帯にふるさと館の電話番号を入れ、歩いて行くことにした。
行ってみると、地図を見た時あそこだなと思った所は道の駅のような地元の特産品売り場だった。そこのお姉さんにふるさと館のことを聞いたが、二人いたどちらも知らないと言う。猫神様のことは聞きにくかった。大きい町ではないのだから、散歩がてらその辺を回ってみることにした。最初見た地図は物凄く大雑把な物だったからしょうがない。あの地図のあの場所でここではないということは、もう少し南の方だったのだなとメインストリートを下る。するとすぐ町並みを出てしまった。ややっ。少し町の方に戻り、古くから続いていそうな大きい漬け物屋さんに入ってちょうどいたおかみさんに「ふるさと館に行きたいのだけれど知りませんか」と聞いてみる。娘さんも出てきて話し合ってくれたが、結論は「本来私たちは知っていなければいけないと思うが、判らない、ごめんね」という物だった。いやはや、凄いことになってきたぞ。紫蘇の葉包みらっきょうを買って、道々子供や年寄りにふるさと館を尋ねつつ戻る。誰も知らないのだな、これが。最初の物産館まで戻って、もう一度聞いてみる。最初の時にはいなかった人がいて「そういえば、毎朝通勤の時にふるさと館という看板の前を通りすぎる」ということを思い出してしてくれた。それは、物産館裏の「齋理屋敷第2駐車場」の先の十字路向かいの黄色い建物だと思うという事だった。充分な情報だ、これで辿り着ける。勇んで物産館の裏口から出て古い裏通りの散歩を堪能しながら新しい道にでると、おお、齋理屋敷第2駐車場が見えるではないか。その前を通り過ぎるとそこは大きな新しい十字路。聞いた通りで全く問題はない。ただそこは、すでに丸森町役場のすぐ後ろというべき場所で、僕にとっては最初に見た地図からのイメージとは全く違う場所だった。ううむ、そうだったのか。何はともあれ、そこに立って周りを見ると、(再び)おお、ちょうど対角線の角に(まっ)黄色の小さな建物があるではないか。直感的に少し小さいかなとは思ったが、十字路から見える黄色い建物はこれしかない。町営の社会教育施設ですからね、緊縮財政の最近はこのくらいなのかもしれないと、向かいに渡って看板を見てみると、しかしやはり、そこは不動産屋さんだった。再び第2駐車場まで戻り回りを見渡しながら歩き回り、入れる所は入って行き、散々やってやっぱりないので、深呼吸をして携帯を出し電話をしてみた。なかなか出ない。もう切るかという所で「ハイふるさと館、斉藤です」。

斉藤さんは朝からずうっと電話に出っぱなしだったと話した。朝刊に出たことで、みんな問い合わせてきたらしい。みんな電話する前に来れば良いのに。そうすればおいしいラッキョウとか買えるのに。猫神様の調査報告書は、薄いけれど立派な本で、ダンボール箱一箱印刷したとのことで売り切れてはおらず、僕もその場で1冊わけてもらった。500円。丸森では昔みんなの家で蚕を飼っていた。蚕を食ってしまう鼠を狩るので、猫は神様になってしまっていたのだった。町中の辻や寺等に猫を彫り込んだ石碑や石盤が沢山あり、それを今回全部調べて記録整理した報告書。これを持ったら、次は実際に見に行くしかない。やることがどんどん増える。嬉しい。という本。
ふるさと館は、確かに第2駐車場の十字路から(も)見える所だった。でも向かいというのはぐるっと回った向かい側が入り口で、僕がいた十字路は新しい十字路。丸森町民が言う十字路は昔からある古い十字路で、僕がいた所からはもうひとつ奥なのだった。古い郵便局を改装した2階建ての大きなふるさと館は、筆書きの立派な大きい看板が古くからの道路沿いに出ており、確かに通勤途中でもちらりと見える。建物の色は僕の基準ではベージュ色で、黄色ではないといった方が良いのではないかなあ。でも、回りが自然しかない丸森では、あれで凄く黄色いのだろうなあとも思う。というような数時間の冒険探索の後、僕は本を手に入れた。個人がするイメージは他人には見えない。個人の言葉に対する概念は各々異なり、言葉で伝え合うことには常に概念の点検がいる。今回は映像でも同じことが起こることが判った。あたりまえだけど。

この後、どのようにして岩沼に帰ってきたかは又別の話になる。何しろ2CVで出かけてしまったのだから。あ、もちろん、快適なツーリングだったことは/を報告したい。

全体として確かに、僕の優雅な!退職生活は始まっているのだとは思う。でも、明らかに僕は日本では少し変なオジンツアンのようで、そう見れば、美術館で仕事を始めたばかりの頃の状況感覚とにたようなことが、僕の廻りで起こっているのかもしれない。優雅な退職生活が心からリラックスした優雅になるには、再び30年ぐらいかかるのかと思うと少しうんざりだなあ。でも大丈夫その前に死ぬな。