2011年 9月15日  蒸し暑い曇。でも風は乾いて涼しい。


いやはやなんともの毎日がずーっと続いて、ふと頭を上げるともうお彼岸だぜ。

ほぼ毎日、このブログの量では書ききれない程のことを、あれこれウジウジ考え、まとめ、決断し、それをあんまりそのことを考えたくない人に説明し、話を聞き、相談し、修正し、妥協し、文章にして、なおす、というようなことをしていた。普通の会社なら、例えば「もうける!」というような目標が見えやすいので、話の方向が見つけ易いような気がするがけれど、30年も続いて来た公立の美術館を巡るお話は、そう簡単には動かない。使われる言葉の概念が曖昧な上に、社会状況によって大きく変化しているのが最も大きな問題だし、まず、そのこと(概念が変化しているということ)自体を議論しなければいけなかったりする。

ここまで書いて来て、ふと、前のブログを読んだら、ほぼ同じようなことを8月20日にも書いていて、深くうんざりした。よし楽しかったことだけ書こう。あんまりないけど、少しはある。

8月末に博物館実習が1週間あって慌ただしく終わり、9月にはいってすぐの2日間、全国美術館会議の教育普及研究部会が宮城県美術館であった。ごくかいつまんで開き直っていえば、僕が今年度で退職なので、いなくなる前にみんなで見に行こうという会だった(ようだ)。僕の活動は一緒に同じ時間を過ごさないと上手く伝わらないようなので、来て見て話すほかない。古くから会員の人は知っているが、新しく会員になった人は話だけしか聞いていないので、(齋が生きているうち)ぜひ見ておこうということになった、と聞いた。実際の探検をして質疑応答。間の夜は、東京なんかだと居酒屋で懇親会ということになるのだが、仙台は、僕と大嶋君(二人ともほぼ下戸)が幹事なので、「カフェモーツアルト-アトリエ」貸し切りということになって、ビールやワインも出たけれど、僕には大変有意義な会だった。でも一層、ワークショップを伝える/広めるのは難しいなとも思う毎日だった。

前にも書いたが、9月10、11日は仙台市定禅寺通ストリートジャズフェスティバルだった。そのうち10日土曜、美術館の中庭でNHKFMの公開生放送サバトセーラ東北収録。様々有名な演奏家がきて、主催者発表1500人!集まった。でも、そのことより、僕が驚いたのは、実況中継をするためにラインを開きたいとNHKがいってきて、その説明を聞いたら、美術館には美術館の管理の人さえ知らなかった、NTTの電話線や光ファイバーのラインが、すでに施設されていて、それを使ってすぐにそういうことが出来るんですよということがわかったことだった。いやはや、社会はもうそういうことに誰も知らない(俺だけか)うちになっていたのだった。

そういう騒動の合間をぬって、岩沼グリーンピアの山道をぐるっと4時間ほど歩き回り、その帰りホテルに併設してある温泉に入ったのは、しばらくぶりのヒットだったかな。