2010年 7月 31日   スパっと晴れない一日。湿度は高い。


金曜まで相変わらずの密集した活動が続いた。僕も実践をしなければいけないほど活動が立て込んでくると、僕とスタッフの立ち位置の違いが顕在化してくる。今日の子供達は良かった、あそこの幼稚園はいけない、というような話(感想)が朝の話題になる。僕の感想はいつも「今日の子供達はみんないい子供だったねえ」。目標の置き方と「今」の意識の仕方。
美術館の活動だったはずなのが義務教育の授業化してしまって、まず全体にかぶさっているはず/べき美術の意識の持ち方や、美術館の中でしていることの意識などが、つい学校での授業風になってしまう。活動後の点検で、その辺りを話題にすると自分の活動の方を中心に意識の流れを組み立てようとする。どうしてそう出来なかったかの申し立ては私の若い頃と同じだから良くわかるけれど、そこからもう一歩踏み出すには、ここ(社会教育施設としての美術館)での教育の概念を組み立てる経験が、美術を巡ってはちょっと足りないのかなあという感じがする。むずかしい。意識の組み立てを学校の中でやって来て自信を充分持っている人達。そのこと自体の点検をすると、自己崩壊が起こるのかな? 僕はやはりあまり学校的な人ではないのだろう。
みんなに大変助けてもらっているのだが、それゆえにストレスフルな毎日だった。で、何しろ何はともあれ、今日から3連休だ。とはいえ、最後の月曜にはもう仕事?が入っているのだが。

朝ゆっくり起きて短い休日用半ズボン(美術館は作品のためにきちんと冷房が入るので、夏は半ズボンといっても本当は7分ズボン)に胸ポケット付きTシャツ(だからYシャツを着なくてもいい)を着る。単純にこれだけで、僕は相当嬉しい。普段の朝のようにバケットにカフェオレの朝食に、今日は目玉焼きと残り物の野菜も食って、手紙を出しつつ胞夫さんの病院に行く。
口を開けて寝ている。すっかり痩せて来ているが、顔色はいい。看護婦さんが来て体温を計る。36、8℃。時々目を開けるが焦点は合っていないみたいだ。僕が声をかけつつ覗き込むと、すぐに何かに気付いたかのようにきつく目を閉じる。目を合わせたくないのかもなあ、と思う。しばらく一緒に座っていて帰る。外出の準備をしビルケンのサンダルを履いて自転車で駅へ。長町で降り、地下鉄で連坊小路のしのだ機械時計店へ。頼んでいた26ミリ幅の腕時計ベルトが届いたとの連絡があったのだ。しばらく前に買った服の外側に着ける大口径の航空時計を持って行って替えてもらう。もともと付いていた素敵なベルトは本当に服の袖の上からしか着けられなかった。冬はそれでも何とかなったのだが、夏になると半袖になってしまうので困るのだ。これで、夏でもこの時計をいつも使えるようになった。持っているものをどんどん使い込むのが僕は好きだ。ついでに、昨日強くコンクリートの床に落としてしまったソ連製の60時間巻き腕時計のオーバーホールもお願いする。とにかく開けて見てみましょうということになる。こういう時計屋さんがいるので、持っている時計が増えてしまうのだ。僕の毎日使う腕時計はほとんど機械式で、相当壊れても、ここで相談するとなんとかなる事が多い。胞夫さんがもう駄目だからあげるよと言っていた、出たときは世界で一番薄い機械式だった古い日本製の時計も再び動き出して、僕の持ち物になっている。ただその時計はネクタイ労働向きなので、彼は毎日使えたが僕が使う機会はあまりない。

連坊入り口の時計店を出て、JRの並びの亀井美術館に行く。渡辺雄彦展。展示期間は2か月と長いのだが8月1日まで。見に来る時間がやっと取れたと思ったら最終日になっている。春に美術館の小企画展で杉村淳をじっくり見られたので是非比べたかった。様々了解。ついでに日本の近代の巨匠達の作品とも見比べられるので、面白かった。平面に絵を描くって、何を見て何を描くのかが良くわかった。難しいもんだなあ、としみじみ思う。僕は最近、本当に絵、描くの下手になっているので、そろそろ一人静かに練習始めてみようかなと思った。

もう十二時少し前だったので、河北新報の裏に出ておひさまやで昼飯を食おうと行ってみた。しかし今日は土曜日なので、もうこの時間は常連っぽい人達で満席だった。みんなワッシワッシと食べているのが見える。急に腹がすいて来てこうなったらレーションで食うぞと決心して前を素通りし、東二番町まで出たら、西の突き当たりにあるカフェレストランが開いているのが見えた。そうだ、あそこにもあった。で、柳町のノワイヨへ。十二時ちょっと過ぎていたがこちらは僕が最初の客だったようだ。いい雰囲気の店内に僕一人。窓に面した細長いテーブルにニコニコ座る。普段忘れているが、ここは本格的なヴェジタリアンレストランで、しかも美味しい。これまでここではカレーを食べることが多かったが、今日は土日ランチで、バジルのジェノベーゼライス。人参のスープ。夏野菜のカボナータ。チャイも飲んで、持って行ったミステリーを少し読んだりしてすっかり寛ぐ。
落ち着いてから、是非見に来てと電話を受けていた一番町の工大ギャラリーへ移動し、藤沢野焼き特別展を見る。静かにそっと続けて行くことも、こういう催しには大切だと思うのだが、この後どうしたいので僕に見に来てということだったのだろうか。ピクニックとその2階のギャラリーやその向かいの不思議な雑貨のお店、クロスロード、晩翠画廊に寄りつつ、細横丁を北上してメディアテークまでゆっくり周りを見つつ歩く。暑いけれど世の中は見れば見るほど面白い。

実は昨日の帰りにも寄ったのだが、ここでやっている土屋アトリエを巡る人達のグループ展を今日再びジックリ見たかったのだ。巡る人達の作品は昨日じっくり見たので、今日は土屋先生の作品を良く見る。足首が太い。出っ尻。太くガッチリした骨組み。頭像ですららせんに安定するポーズ。昔彼に習った実践の確認。その後自分で創った作品の中にある彼の造形意識。いやはや、学ぶって/教えるってこういうことで文化はこういう風に伝わって行くのだなあの思い深し。でも、多分、そういう風に思うこと自体が、僕がここまでの人だからそこまでのことなのだろうなあ。早く彼の年齢を超えたいものだ。それまで死なないようにしないとな。しばし呆然と瞑想黙想。凄く考えていたのに、一瞬全部白くなった感じ。立体も再び真剣に創り始めなければ、と思う。まず体操か。

メディアテーク向かいのインターナショナルデザインがセールだったので、同い年の(だから干支が同じでなかなか素敵な兎のデザインをする。ぼくは兎が付いているものに弱い)オーナーの創る現代漆器を半額で少し買う。その後、相沢眼鏡で古い眼鏡を修理清掃してもらったり、モンベルでパラコードを買ったりしながら帰宅。これを書いて今10時だ。さて明日は何をして遊ぼうかな。