2010年 3月27日  晴。空気は澄み切って涼しい春。

前の更新からあっという間に10日過ぎた。少し前に沖縄の若い人達から大きい封筒が届いた。心当たりのない差出人だったが、これは、東京都現代美術館の教育担当学芸員GO君からの紹介だという手紙が入っていた。まず「美術の先生は何を考えているのか」という名称のシンポジウムの報告書が出てきた。この名称は挑発的なのかのんきなのかよくわからなかったがパラパラとめくってみた。パラパラ見るだけだと相変わらず造形教育としての美術教育の報告のように見えた。次に「萩堂貝塚再発掘報告書」が出てきた。何んだか怪しい絵も書いてある表紙だったが、体裁としては正しい考古学の報告書のようだった。でも「再」って何? 表紙をめくって数ページは、小難しそうな貝塚の地図(台湾や大陸まで描いてある大縮尺)や始めになどが書いてあって、まったく普通の報告書だなと思えた。その次のページをめくると「史跡萩堂貝塚碑」の前に腰をおろしている、変な帽子をかぶってビーチサンダルをはいたジーパンのお兄さんが二人、真面目な顔をしてこっちを見ている写真だった。

これおかしいでしょう?何なのこれは?座り直してきちんと読んでみた。これは美術作品だった。そしてこれを読むと教育シンポジウムも、美術作品になってしまうのだった。いや、教育シンポジウムのままなのだが、僕には強く美術を意識させるのだった。いやはやこう来たか。

これまで考えていた様々な問題に、様々な方向と様々なやり方で、この報告書は答えを出してくれそうに思えた。パズルのピースが一気にはまって形を見せ始める感じ。興奮した。

この事件を通して考えたことはたくさんあって、しばらく余韻を楽しもうと思うのだが、さしあたってなぜこれほど興奮しているのかを、彼らに書いた返事を通して記録しておこうと思う。


これらの活動は,美術と教育を巡って、大変広範囲に問題を提起している。しかも考え始める(読み始める)と深い。かつ21世紀だ。


話を始める前の幾つかの確認。

学校の図工美術(造形教育)の延長上にだけ美術があるのではない。美術の美は『ビックリ」のビ。きれいだっていうのもビックリだが,きったねえっていうのもビックリ。ある点を超えるとそれらのビックリは同じものになる。きれいな方だけを見るのだけが美ではないという美意識。

本当のことを言うと、絵を描く時は対象を見て描いてない。本当に見ているのは平らな紙。見ているものは全部立体なのに、あえて平らな紙に書く(たぶんだから難しく感じるのではないかしら)。わかるもわからないもなく,描く事って抽象的な活動なのだ。見て描くって,実は頭の中を視て描いている。かつ頭の中に言葉であるものしか見えない。頭の中にあるのが,あなたの世界,それがあなたの世界観。頭の中は他人には見えない。あなたの見ているものはあなただけが見える、あなたしか見えない/見られない。自分の頭の中なのだから、他人にとやかく言われたくないし、他人がとやかく言えるものでもない。そこいらの「相談に乗る」のが美術教育?だから美術教育は造形教育とは(まったく)違う。自分の世界観を作る事が(個人的にはたぶんすべての)勉強の目的。そういう勉強をする時美術は(図工や造形では決してない美術は)大変役に立つ。


世界観を巡る様々な言葉の概念確認を始めると,いやはや止まらなくなりますから、この辺にします。EDUCATION(教育)とSCHOOLING(学校教育)の違いをはじめ「ワークショップのファシリテーション」まで,みんな使っているのにみんな違う概念は,(日本では)限りなく存在する。


一方「近代(モダン)」の問題がある。色々な言い方(という事は考え方)があるが,人間にとって近代はとても大切な思いつきでした。象徴的にかいつまんで言いますが,近代以前,自分が生きているのは,神様(そしてその具体的な執行人である牧師様や王様)のお陰なのだと心からみんな信じていたわけです。そうでない人には罰が当たるのは当然でした。絵を描くのは,神様の作った世界を見えるように残しておく事で、牧師さんの修業の一つでした。産業革命や宗教革命を経て私たちは市民革命に至ります。美人とは誰かを,王様(すなわち神様)に決めてもらうのではなく自分で決めて良くなります。どこか外にある基準に依るのではなく,自分の中に基準を決めて実行しても罰はあたらないという自覚が一般的になる事/気付く事が近代の始まりだと考えると,今起こっている社会の問題の様々な部分の整合性がとれるのではないかしら。近代化した人間というのは,「神を恐れず!?自分で決める事ができる人」の事です。

だから20世紀までは,個人の充実した自立を目指して教育は組み立てられました。とくに,それを効率よく片付けて、沢山の「社会に(=会社に)有用な人」を作るための学校教育では、よりいっそう。だからこれまで,教育は個人の充実を目指していれば充分なのだと思われていました。神を恐れず!自分で決める事ができる。それこそが近代の目指した自己の確立でした。この教育では各自の中でほとんどすべての状況が完結しますから,教える(=多い方から少ない方への情報の伝達)のも簡単だし評価(教えた側がわかりやすいかどうか)も単純でした。何しろ「そこ」という一点を目指して各自全員が頑張れば良かったのですから。


その結果,今があります。問題は述べきれない程おこり,そのすべての理由と解決方法は何となく思い付けるのだけれど曖昧で混乱し、霧の向こうを描写するがごとくです。ものすごく大雑把に言うと,そういう経験を積み重ねて来た20世紀までを経て,私たちはこのような状況の21世紀にいます。美術はすべての表現の原点にありますから,こう来た近代の土台の上に,どう次のモノの見方を立ち上げるのか,立ち上げられるのか,なんて事を最近つれづれ考えていたのです。ちょっと鬱気味でした。


そこの所に突然あなたたちからの『ヘンテコリン」な報告書が届いたのです。何か大変な事なのではないかという感じはしましたが,パラパラ見ただけでは,新たな美術教育のシンポジウムのテープ起こしかな?に見えました。一方本能は,これは捨ててはいけないと言っていました。で,きちんと座り直して読んでみたのです。そのため少し返事が遅くなりました。僕の本能の直感は正解でした。


だいたい,ビーチサンダルを履いて変な夏帽をかぶってこっちを見ている二人の男子,という見開きの写真が,可笑しくもすべてを語っている、というのに読み終えて気付いて嬉しくなりました。この再発掘報告書は美術(それそのもの以外では決してない,しかし各自の世界観の拡大に大きく影響を与えるもの)です。美術の作品です。「そうか、こう来たか/来るか」という新たな美術の方向を示す作品になるのではないかしら。

その次としてのシンポジウム。美術作品としてのシンポジウム。ま,とにかくシンポジウムの報告書としておいて良いのだと思います。そう言いたい人(ほとんどの人はそうかな)そう言わせておきましょう。でも,これは美術の作品だ。直感的に美術館で30年程学芸員をしている僕にはそう思えました。それはなぜか?というあたりの合理付けは,どこかにいるに違いない、あなたたちと同世代の美術館学芸員に任せましょう。作家は,その時代の中でやりたい事(表現したいこと)をできるだけ自由に直接的にやりやすい方法で表現すれば良いのです。それが作品です。その作品を歴史の中に当てはめる合理性を紡ぎ出すのは学芸員です。作家は気にしなくていいのです。ううむ,ちょっと興奮気味だ。


メールの文をコピーしているので語尾がへんなのは無視。ざっと話し始めてもなかなか面白いことになって行く。しばらく考えを深めてみようと思っている。