2009年 6月14日 肌寒い、高曇り。薄手長袖ネルシャツにフライフィッシング用ジャケットで出勤。

先週の水曜日に、水泳をした。考えていた感じと少し違う実感。様々なものを、様々な所から修正しはじめないといけないようだ。6年前(もうそんなにたってしまったのか)脳内出血をする前まで、僕は週に1回毎木曜、市営の屋内プールで水泳をしていた。そして月曜の休日ごとに、なにがしかの運動。近くの里山や、蔵王のお釜の周りなんかを駆け足で回るとか、モーターサイクルを駆って林の中の道なき道を駆け抜けるとか、大きな倉庫の壁一面に作られた人工の壁でフリークライミングとか、マウンテンバイクで新しい団地の回りの未舗装路を走り下って、逆風をついて漕ぎ戻るとか、なんかそんな、今書いてるだけで心浮き立つ体を動かす遊び。そう言う活動の合間にする週一回の水泳だったので、それは、15分準備体操をして1時間ゆっくり休まず泳ぎ15分整理体操をして上がりというものだった。今にして思えば、そういう基本の毎日の生活の合間に、美術館での仕事をしていたのだなあ。その頃、水泳パンツ一丁で水の中に体を投げ出すのは、気持ちいいことの筆頭だった。6年ぶりにやった水泳はだいぶ違っていた。



6月10日水曜の仕事帰り、途中にある今泉清掃工場に付属してある市営プールに寄った。なつかしかった。水着や様々な用具1式は持って行ったが、水泳帽は受付の前の自動販売機で、一番簡単な白いやつを600円で買った。まず一回やってみて調子良くて続けそうだったら、気に入るやつを探しに行こう。ロッカールームで裸になって着替えをしたら窓に何か映っていた。僕は、いつでも何処でもすぐに裸になれるような心構えにしておきたいと日頃考えている/た。でも、ガラスに映ったものにはちょっと動揺した。ううむ、だいぶ格好悪くなってるなあ。お風呂に入るみたいにスッパダカになると、あんまり気にならなかったのだが、水泳パンツなんかはいて立っていると、体全体にしまりがなくなっているのが隠しようもなくなる。ちょっと動揺。かつ、準備体操のしかたを忘れてしまっていた。ストレッチの何処をどういう風にしたいのかが、多分イメージできなくなっているのだ。順番ややり方なんか知らなくても、自分の体の何処をどのように動かしたいのかがきちんとイメージできれば、準備運動は自然に始められる。そういうことが頭に浮かんでこなかった。しょうがないのでユックリするラジオ体操みたいなものでごまかす。胸にうっすら汗をかく。プールサイドにおりて、シャワーを浴びる。コースサイドにある階段(梯子でなく)を使ってゆっくり水に入る。ついニコニコしてしまう。ウワー嬉しいなあ。うっ、こんなに水って重かったっけ。水に体が沈んで行くにしたがって、水が重い。壁にそってゆっくり歩く。まっすぐ進まない。波に体が流される。まっすぐ歩いているつもりなのにふらふら進んでしまう。水中で軽く抜き手の様に手を動かしながら直進する。何往復かして体の調子を見る。大丈夫だな。スタートの壁を蹴って両手を頭の上に伸ばし、水中に体を投げ出す。これが気持ちいいんだよねと、体は期待していた。何と、これがそうではなかった。体が、水の中にスッと水平に浮かんだ感じがしない。腹筋だろうか、腰が決まっていないのだ。ううむ、だいぶ、筋肉が落ちてしまっているのだなあ。これからしばらく、毎週水泳続けよう。
と書いてすぐ1週間過ぎてしまい、今日再びプールに行ったら、今日から28日まで、メインテナンス休館だというではないか。この振り上げた拳は何処へおろせばいいのだろう。