2009年 2月15日 快晴で風強し。暖かい。春のジャケットで出勤。

更新が又滞り始めている。体がコタコタになるような忙しさはないのだが、休んだ気がしない毎日が1月以来ずうっと続いている。連休だった筈の休みはなぜかとびとびの単発の休みになり、その個別の休みの日は、孫と山に行ってしまってこれは具体的物理的にコタコタになり、一息つけそうな日は病院が入ってくる。そうこうしているうちに、毎年我が家ではこの時期恒例の事件がやっぱり今年も起こり、これまでは、爆発や火事なんかで火の回り関係だったが、今年は水害。でも、ま、水は、乾燥注意法発令だったから一日で乾いてくれたので、あまりストレスにはならなかった。思いつき考えたことを思いつくままにメモしておこう.



20年ぶりに美術館に来た人がいて、最近は僕にも孫が出来て云々、こんな感じの男の子なんだという話をしたら、間髪を入れず「それ若い頃の(=20年前の)齋さんとそっくりですねえ」と言われた。「それって隔世遺伝寸ですよねえ」という追い打ち付き。ううむ、僕は、彼と似ているという自覚はあまりなかったのだが、言われるとたしかに、(死んだおふくろなどからの話に聞いた)子供の頃の僕と同じようなことを彼はする。彼を見る目と付き合い方が少し変わった。いやはや。
□今年10月、小中学校の美術教育研究大会東北大会が仙台である。そのための研究に混ぜてもらうことにした。最近だいぶこっちの方(美術館での教育活動)もまとまって来ているので、結構相談に乗れることもあって、なかなか面白い。人間は、同じ言葉でもその人が持っている概念で理解していくので、丁寧に実際を見せて、その概念自体を変更していかなければいけないのが面白い。今年の活動が終わった時に何かまとまるといいのだが。
□「お父さんのひとりごと」を再発行する作業を本格的に始めた。何回か、本欲しい人は連絡をと言って来たつもりだった。欲しい人は特にいないのだと思っていたら、「たくさんいるのだが、齋さんが怖くて言い出せないでいるのだ」と言って来た人がいて、決心した。僕は怖くない。至って気さくだ。そう話したら「そのとうり。一言、本が欲しいって言うと、あなたは10言ぐらい返してくるので、みんな怖いと思ってしまうのだ。その人は本が欲しいだけなのよ」と言ってくれる人がいた。なるほど、そういうことはあるな。反省し、さしあたって、前に作ったのと同じ(表紙はもう少し厚い紙にしようと思う)仕様で再販できるかどうか調べてもらっている。しばらくお待ちを。
□ライオネル-ファイニンガーという人の展覧会が始まって、世紀を股にかけて生きるということの意味を考えた。各自の意識が世界を形作っている。その意識が自分の見ていると思っている世界だ。空をキュビズムで見ることが出来る意識を自覚したい。というようなことを考えながら、宮教大や生活文化大の卒展を見、美術系各種学校の卒展を見ると、今、僕たちがしなければいけない美術教育は、もう手遅れなのだなあという気がしてくる。でも、シコシコ続けるしかないのだが。毎日の活動を丁寧に手を惜しまずすることにしよう。
□他にも何か書きたいことがあったけれど、もう眠くなったのやめる。