8月27日 夏は終わったんだと確信する薄ら寒い曇り。

このブログは、もともと、自費出版した「お父さんのひとりごと」の本がすぐになくなってしまい、なくなった後で欲しいと来た人たちに、せめて文章を読んでもらうことができるようにする目的で立ち上げたのだった。せっかく開くのだから、ちょうど、お父さんから本物のお爺さんになるところだっこともあり、「お父さんのひとりごと2」も書き始めたらどうだろう、いろいろ小さいメディアに書いていた文章も必要に応じて公開しよう、その他のことも公開できるものはしよう、と、なんだかいろいろ重なって始めたのだった。

 だから、このブログを読んでいる人に、あらためて、お知らせし、お願いするが、まず、右肩の「お父さんのひとりごと」(略しておとひと1)を読んで欲しい。言いたいことは、ほとんどそこに書いてある。あの本がなくなって以後、早くも5年以上の時間がたって、自分の身の回りには、結構重大な変化が起こって、考え方の幅はだいぶん広がったように、自分では思うけれど、今読み返しても、そもそものあたりは、おとひとを書いたあたりにある。
 この前、宮教大のごく新しい後輩にあって、教育の進化について質問を受けたけれど、どうだろう、教育のそもそもは進化したりするものではないのではないか。状況は変わり、わかったことは増え、技術も拡大はするが、新たに来る人は(小さい人は)また、新たに来ているわけで、人が、この惑星の上で生き延びるのに必要なものやことは、あまり変わることはないのではないか。開き直って言うが、だいぶ前に書いたお父さんの話が、未だ僕自身、楽しく、かつ襟を正ながら読むことができるというのは、そのためなのではないか。むしろ、最近書く私の文が、何か全部、遠回りに、悲観的で、保守的で、有限的になってきていることをこそ考えたい。
 そのほか、美術本当のところ、には、美術館で普段のっている様々な相談について、美術関係のカテゴリーには、だいぶ前に書いて、様々なメディアに載せた文を公開しており、これからも増やしていこうと思っている。