保育所の充実は
子供にとって!本当に大切か?

ハウスキーピングという仕事。


2016年 3月 30日  高曇り。無風で春の空気。

 25日は、先生たちの人事異動の内示が出た次の日で、みんな様々動きが取れない状況だった。だから?、その日に、かねて計画していた、土屋先生のお祝い会を泉ヶ岳スキー場上麓の岳山珈琲で開いた。参加者は全部で10名。土屋研究室の最初の頃の人たちと、いつもは日本にいない人も含め、普段なかなか会えない人たち。ドレスコード全くなし。式進行計画全くなし。打ち合わせ全くなし。これでなんかやれるのか、という状況。いやはや。

もちろん、ものすごくいい会だった。大きな丸テーブルを囲んで七面鳥の丸焼きをメインにした軽い食事をしながら、アルコールはワインを少しと、ノンアルコールビールだけ。最後にうまいコーヒー。何人かが心のこもった贈り物を持ってきて先生が喜び、打ち合わせなしで挨拶がなされ、そのフォローがあり、機転の利いた合いの手が入り、それの解説が、今だから話そうと先生からあり、話は延々と続く。あっという間に日が暮れてきて、解散。という会。各自がなぜ今ここにいるのかを自覚できている人たちだと、自然とこうなるという見本のような会だった。

ただ、その日の夜に家に帰って会計を閉めてみたら、大きく計算が狂っていて、その週の日曜に、相談に乗ってもらっていたN平君に急遽会って閉め方の相談をしたりした。本当にこういうのは、僕、相変わらず、全然ダメだなあ。




教育とは、
学校教育に邪魔されずに
身につけなければ
いけないもの。


2016年 3月15日 
快晴。
乾いた暖かい空気の微風。

ものすごくしばらくぶりで、何もしなくてよい日。とはいえ、土屋先生の会の準備が、(だいぶ整ってきてはいるが)まだだし、今日も本当は午前中にヨガの会に行こうと思っていたのに、様々やることをやっていたら行けなくなった。来週になると、また毎日何やかにや始まる。何かやることがあるのはいいことだと思いながら、しかし何だかなあ。

沖縄県芸大でやった博物館教育学の授業のリポートが送られてきた。同じ時期に、美術館教育の仲間が書いた放送大学の博物館教育学の教科書が送られてきた。もちろん基本的な状況に様々な違いがあるので当然ではあるけれど、その違いにちょっと驚いた。この教科書で学んだ人たちは、博物館や美術館でやる教育について、どのようなリポートを書くのだろうと思って、しばらく考え込んだ。どちらがどうというのではなく、そもそも、僕たちは、何のために博物館を作り、何のためにそこで教育をしているのだろうか?というようなところから始まる実践の考え方と/や組み立て方。
うまく言えないのだが、何だか21世紀になっているのに、20世紀にわかった最も大切な部分が、何だか曖昧に置き去りにされているような感じ。やっぱりうまく言えないなあ。良し悪しとか善悪というような見方ではなく、使われている言葉の概念から点検するような、モノの組み立て方の伝え方。言い方がしつこい。

こういうことを考えながらこんな文をひねり出していると、右肘の外側に何か小さい骨が少しはみ出しているのではないかと思えるような、軽い痛みが最近時々出る。月に一回身体を見てもらっている鍼灸師のkunikoさんに電話で聞いたら、そこは心臓の流れだから、厚生病院に行って「最近ストレスが、、」と言って、診てもらったらと言われた。ううむ、覚えておこう。