ごく小さかったある時、
僕は自分が正弘だという事に気付いたのだと思う。
今は忘れてしまった。

今小さい人達も、ある時、
ああ、私はこの名前で呼ばれる者なのだと気付くに違いない。
忘れないと良いのに、と思う。



2012年11月 7日 沢山雲のある、しかし快晴。

毎日どたばた過ぎて行く。書きたい事が毎日有るのに、帰宅して、テレビを見て寝てしまう。何もしていない。もう休みの日の方が多いのに何もしていない。
ツタヤが再び老人無料1本貸し出しを始めたのと、ちょっと試しにCSを見られるようにしてみたあたりが問題なのはわかっている。なので/だから、この前の局地的豪雨で壊れてしまった大きいテレビの後釜はまだ買っていない。ま、そういうのも含めて、ゆっくりやっていこうという事だ。

10月中何回か、休みの日に趣味!で美術館に出かけ、私的で小規模な美術探検や美術館探検の活動をした。生活文化大付属高校の保育科3年生とか、市内のシュタイナー教育の団体の子供達とか、小学校に呼ばれて行って、校庭で粘土作りのワークショップとか、いろいろ。もちろん正式に出勤している木金土曜は、ほぼ毎日午前中子供の活動をする。最近子供達とのこういう活動が楽しい。楽しくてしょうがないと言った方が良い。好きな事だけしてるわけだからあたりまえだが。そういう合間を縫ってそあとの庭での傍若無人各論併記/平気のお話会は11月2日の分でもう5回目になった。

活動を間にはさんで、そのまとめのような、言い逃れのような、こじつけのようなお話会をするのは、僕にはこれまでとこれからの自分の生き様を振り返る、大変よい機会になっている。基本的には、近代を自分の中でどのように意識できるかというあたりに、問題のほとんどは有るように最近は思える。ある事ないことつらつら考えつつ、ふと思い立ち、気付いて、ツイッターに連絡文を書き込んだりすると、その文の世間離れした浮き上がり方に笑ってしまったりする。ううむ、なぜに世間はいっせいに同じ方向を全員が向こうとするのだろう。もちろん今のような社会の状況の中で具体的な生活を続けるのは、なかなか様々大変ではあるけれど。