2011年 6月27日  細かい雨がずうっと降る寒い一日。湿度も高い。


本当は、何か書く(書きたい)ことが幾つかあったはずなのだが、よしと思って書き始めると、思い出せない。最近、物を落としたり、固有名詞を思い出せなかったり、身体のコントロールが意識についていけなかったり、様々脳が縒れてきているような感じが意識される回数が増えている。

ここ数週間の間に、気になる工芸家の個展が続けてあって、物を増やさないという決心について何回か書いているのに、毎回作品を買ってしまった。

彫金の香炉。僕は家にいるとき良くお香を焚く。街中のアジア雑貨の店で手に入る安いやつ。そのための香炉や線香立てを幾つか持っている。震災で仏壇が倒れて直したとき、普段開けない引き出しから栄子さんの使って(しまって)いた白檀が出て来た。カッパービーターのSaga君が作る彫金は大変な技術の積み重ねで、僕がこれは凄いと思った物はすぐ120万円とかするのだが、今回小さい王蟲(あのナウシカに出てくる)のような形の香炉が3万円だったのだ。ううむ。高いけど、この後死ぬまで彼の作品を買う機会はないだろうなあと思って、後ろを見ないで買ってしまった。さっそく栄子さんの白檀を炊いてみたが、それはもう長い間しまってあったので、ごくほのかな香りしかしないのだった。それとも本当のお香のかおりはこういう物なのか。とは言え、これで焚く香はどこで手に入れれば良いのか考える楽しみができた。一番町の新しいビルの奥にコソッとある格子戸のお茶屋さんに、今度行って相談してみなければなるまい。うふふ嬉しい。

靴を履くための木の小さな椅子。僕の家の玄関は土間になっていて、僕はまずそこに降りて靴に履き替える。靴を履いたら散歩に行く。僕はだいぶ前から散歩には杖を愛用している。イギリスの羊飼い用の長い棒のやつとレキの伸縮するアルミポールの古いやつは普通にいつも。それと、月山登山で使った焼き判付き杉杖と両親が四国で使った遍路杖もある。靴を履きかえるとき腰掛けるために、キャンプ用折りたたみベンチを使っていた。普通のベンチより微妙に低いその高さが、僕が(オジイサンが)靴を履き替えるのにぴったりだった。
Saga君の後に同じギャラリーで木の椅子展をやっているのをその香炉を受け取りにいったとき見てしまった。なかなか良い手作りの椅子が列んでいた。岩手県の広葉樹で作った物だという。展示に詰めていたオジイサン(たぶん作った人だろう)が誰も来ないので自分の作った椅子の上で眠りこけていた。深い親近感がわいた。僕の家の家具は、家を新築したとき酒田にいる友人の若い家具作家に頼んで一セットあつらえてもらった。今でも彼が練習や習作で作った椅子を少しずつ持って来てくれたりして、もう何も要らないのだ。ギャラリーの出入り口に、履き替え用椅子(杖立て付き)という名前の座面の低い肘掛けのついた椅子があった。ううむ。普通日本のフロアリング用の椅子は(家の中では靴を脱ぐので)座面の高さが40センチだということを僕は知っている。それは38センチだった。ううむ。あそこで居眠りをしている、僕と同じぐらいの歳の、親近感がわくあの人が作ったのだ。ううむ、でも僕はもう椅子は要らないのだ。値段は3万円だった。ううむ、ううむ。普通、中国で全部機械で作っても、木の椅子はどうしたって5万円以上することを僕は知っている。これはもうけ無しなのではないか。それともどっか手を抜いているのではないか。つい膝をついて裏側まで見てしまった。完璧だった。誰も買っていなかった。これ誰か買わなきゃいけないでしょう。誰か買ってあげて。あ、俺が買えばいいのか、杖立て付きだし。で、取り置きをお願いしてしまった。ううむ、いいのか。いいな。

野菜や萩の絵の描いてあるうどん用ドンブリ。もうこれで散財はお終いにしないとと強い決心をした次の週、いつも世話になっているギャラリーで、中学校の同級生の女子が陶芸展をした。彼女はイギリスやドイツで修業をまとめて、今は益子に住む陶芸家のお母さんだ。原発反対の運動なんかをしながら普段使いの日用品をこまめに作る。3月の震災と4月の余震とで、僕の普段使っていた陶器類はほぼ全滅した。特にドンブリ。朝のカフェオレ用に、余震のすぐ後ニトリで買って来なければいけない程ほぼすべてのカップが割れた。身の回りの植物の絵柄のはいった軽い色使い。普段使いだから、一つ一つの値段は安い。ただ、彼女は身長が僕よりだいぶ低いので、手の大きさが小さいのだ。彼女のドンブリはたぶん僕のご飯茶碗で彼女のサラダボウルが僕のドンブリ。なんだかんだで、2万円分買って、でも量的には山(おおげさ)のようになり、後で車でとりにいくことになった。ううむ。これらは無駄使いなのだろうか。

こういうのって、今ある物でまにあっているわけで、なくてすむ物たちではある。様々な状況に無理矢理理詰めで辻褄を合わせてなんとなく自分を納得させつつ毎日のJobをこなしてサラリーをもらう。その結果、脳内出血になったりする。そのサラリーで身の回りにある物を、自分の気に入った物にしていく。こういうのって上手くつじつまは合っているのだろうか。後しばらくは自分の気に入った物を使いながら、しかしどちらにせよどうしたって確実に人は死んでいく。ううむ、なになんだろうこの感じは。