8月27日 夏は終わったんだと確信する薄ら寒い曇り。

このブログは、もともと、自費出版した「お父さんのひとりごと」の本がすぐになくなってしまい、なくなった後で欲しいと来た人たちに、せめて文章を読んでもらうことができるようにする目的で立ち上げたのだった。せっかく開くのだから、ちょうど、お父さんから本物のお爺さんになるところだっこともあり、「お父さんのひとりごと2」も書き始めたらどうだろう、いろいろ小さいメディアに書いていた文章も必要に応じて公開しよう、その他のことも公開できるものはしよう、と、なんだかいろいろ重なって始めたのだった。

 だから、このブログを読んでいる人に、あらためて、お知らせし、お願いするが、まず、右肩の「お父さんのひとりごと」(略しておとひと1)を読んで欲しい。言いたいことは、ほとんどそこに書いてある。あの本がなくなって以後、早くも5年以上の時間がたって、自分の身の回りには、結構重大な変化が起こって、考え方の幅はだいぶん広がったように、自分では思うけれど、今読み返しても、そもそものあたりは、おとひとを書いたあたりにある。
 この前、宮教大のごく新しい後輩にあって、教育の進化について質問を受けたけれど、どうだろう、教育のそもそもは進化したりするものではないのではないか。状況は変わり、わかったことは増え、技術も拡大はするが、新たに来る人は(小さい人は)また、新たに来ているわけで、人が、この惑星の上で生き延びるのに必要なものやことは、あまり変わることはないのではないか。開き直って言うが、だいぶ前に書いたお父さんの話が、未だ僕自身、楽しく、かつ襟を正ながら読むことができるというのは、そのためなのではないか。むしろ、最近書く私の文が、何か全部、遠回りに、悲観的で、保守的で、有限的になってきていることをこそ考えたい。
 そのほか、美術本当のところ、には、美術館で普段のっている様々な相談について、美術関係のカテゴリーには、だいぶ前に書いて、様々なメディアに載せた文を公開しており、これからも増やしていこうと思っている。

8月11日 晴と言うより、薄曇り。今年の夏は、この空で行くのだろう。

 8月2日に書いた文は、なんだかあわてている。8月2日に書いているのは、7月16日とかあたりからの話なのだ。書いている本人は、前に書いてから、2週間ぐらいしかたっていないつもりで書き始めている。書きながら、徐々にその時間のたつ早さが実感されて動揺してきて、文が、なんだかつながっていないし、まとまっていない。心して、読んでね。


 さて、「お父さんのひとりごと」と別に、「美術、ほんとのところ」を、立ち上げた。2006年の4月から7月にかけて、毎週金曜日の河北新報の夕刊に、10歳以上15才ぐらいまでの人のために、美術について書いた文を、挿絵ごと、そのまま公開する。挿絵は、齋悠記さんで、彼女は私の長女。ついでに、この文を書いたときに、新聞のコラムにまとめるために、今、美術を巡って、小さい人たちに伝えたいと、私が考えていることをまとめてみた文も公開する。こっちの方を載せたかったけれど、新聞には、字数の制限があって、短くした。でも、その方が、わかりやすくなったのかもしれない。学校で、美術を授業で学習する理由は、この辺にあるということが普通になってくると、小中学校での図工や美術の授業時間が減るなんてことはなくなるのではないかと、僕は、楽天的に考えている。このまとまりには、美術や美術教育を巡って、様々なところに書いた文章を必要に応じて、公開していこうと考えている。ご利用を。

8月 2日 曇のち晴。今日梅雨が明けたとラジオが言った日。朝方薄ら寒く、午後から湿暑い。

美術館は、月曜が定休日なのだが、その日が祝日の場合は、開館する。そして次の日は普通通りに開館する。で、海の日あたりは連日開館。でも、すまぬ、私のローテーションはお休み。

でも、脳神経外科関係の薬が切れて、18日は、病院に行って薬をもらったりなんだりかんだり動き回っているうちに、天気の悪い休みは過ぎた。23日に、岩沼の展覧会は終了。あんまり顔を出す機会もないうちに終了。でも、思いの外沢山、広範囲の人が見に来てくれたと言うことだ。改めて、僕は、物を作ってしまう人なのだ、ということをしみじみ実感した展覧会だった。今回のような展覧会だと、自分の気になる「物」をひょいと提示して、そこの場の状況を見事に換えてしまう人がいて、ほんとに、うらやましい。まず、そこにある音に耳をすましてから、自分の音をその音の中に自然にそっと流し込む、というような形で音楽ができる人たち。僕は、音があるのはわかるのだが、自分の音を大きくどんどんかってに演奏してしまう。すごく気にしてやってもそうなってしまう。俺って昔風なんだな。24日に、出かけて、自分の作品の撤収と、残った部分の草刈り。借りた建物の庭の草刈りをするという条件で、敷地と建物を借りているのだ。草刈り機と鎌。両方面白い。ダットサントラック荷台いっぱいの草と、それと同量の草の山を刈る。昼、みんなでそばを食ってから、午後から大学に行って最終授業。神経探検後半、視覚混乱と目隠し。神経探検は、何回やっても、気を抜いてやっても、疲れる。
25日は、県の社会教育課主催のジュニアリーダー中級研修を美術館でする。集まった少年少女は25名程で、さすが、ジュニアリーダーの中級を受けようとする連中は、若々しい顔のやつが多いなあと、最初合ったときに思ったが、何となく全員高校生なのだろうと思いこんで、てきぱきと話と作業を進めていった。そうしたらなんと、終わり近くなって、2/3が中学生だということが判明、最初の印象は正しかったのだ。ひえーっ、ちょっと難しかったかな、すまぬ、と思ったときは終了していた。このブログのアドレスを教えておいたのだけれど、もう後の祭りかな。わかんなかったところは、個人的に、いつでも電話してな。
 7月の最終週末は、またまた連休。夏休み期間になると、休みの予定は、めちゃめちゃになっていく。連日家の掃除と、自転車の分解組み立て。昔子供たちが使っていた24インチのATBやゲーリーフィッシャーの初期型フークーイークーなどが、周り回って手元に戻ってきて、面白そうなのでしこしこなおして、また動くようにしようとしているのだが、どうも、左手が思うように動かなくて、というのを言い訳に、最後の調整は、二輪工房の達夫君に無理矢理頼み込んだりしながら自転車整備のリハビリをしている感じ。
 さて、大学の授業13回目。一人でやる神経探検。10㎝×20㎝のプラスチックの鏡を各自に貸す。まず、目の上に、鏡面を下にして水平に当てる。鏡を少しづつ傾けて、足の先だけが視界いっぱいになるちょうにセットしたまま、階段を下りて、外に出られる階まで降りる。外への出口に続く廊下に着いたら、鏡を逆に目の下にあて、今度は天井だけが見えるようにセットしなおして、空が見えるようになるところまで移動する。全員が外に出たら、2組に分かれ、1組の人は、布で目隠しをして、静かに動き、何かにぶつかるところまで動いてみる。2組の人は声を出さずに、その動きを観察する。交代して同じことをする。深呼吸をした後教室に戻り、感想を書いて終了。