知ることには限度がある。

どんなに知っていると思っても、

もっと知ることがある。


2021年10月5日

曇り。湿ったうすら寒い、暖かさ。

10月になると、ほぼ毎土曜日に児童館の人たちとの活動が入ってくる。本当はこんなに混んでいないのだが、この時期、夏休み中にやろうとしていた活動がどんどん中止や延期になっってしまっていて、ここに集中してしまったのだ。

この前の土曜、本当にしばらくぶりに、小さい人たちと、いつも使わせてもらっている仙台の外れの古い八幡神社の裏山で、1日一緒にじっくり遊んだ。と言っても、まず昼までは、神さまこんにちわ(君等は、神様いると思っているのか?の点検)をしてから、今日遊ぶエリアの散歩を兼ねた探検。手入れされているとはいえ、ほぼ自然のままの林の中を下草をかき分けて道を新たに作りながら歩くのは、何回やっても面白い。男子はどんどん行ってしまい、迷子になりそうになる。僕は、思わぬところで思わぬ方に曲がるからね。そういう練習をしていないと、絶対トトロには会えない。古い城跡の探検で、古い空堀にロープを使っており、裏の出口まで行ってみる。トトロの道を通り抜ける練習(しばらくぶりだったので、僕は眼鏡を草の中に落とし、なくしそうになった)で、草まみれになり、ほうほうの体で、社会(知っている世の中)復帰。

昼飯を食って、これまで作ってきた遊具の点検と修理(という名前の)破壊。壊すの面白いよね。丸太を止めている1寸釘は、きっちり錆びていて抜けないので、ほとんどの接合部分は、鋸で切断。で、この辺りで、帰る時間が来てしまう。初めて参加した1年生の女の子にさよならのハグをされて、僕は、少し涙が出そうだった。面白いねえ。又おいで。

思いもかけないことが起こったときに、なんとか知っている世の中に戻る道を探してみる。私たちは、知っている世の中を持っているのだろうか。

 私の表現に出る、

私の生き方。

私の生き方の、

なんといい加減なことか。

2021年 9月24日

乾いた涼しい空気。少し見える青空から差す強い日光。

17日から20日にかけて、浜松に行っていた。18〜19日に、11月にやる活動の打ち合わせで呼ばれたのだが、事前にゆっくり常磐線で行って、終わった次の日再び常磐線で帰るというのにした。前に愛知県豊田市に呼ばれた時、フェリーで片道1日半かけて行った時の往復に比べればなんのことはない。台風の移動と重なって、僕が一人で下見をしている時だけ、強い雨降り。それはそれで感慨深い数日だった。


今回の活動場所は浜松市の浜北区という場所で、とにかく箱根を越えた西側に、変な思い込み(こっち側が本当の日本だという様な)を持っている僕にとって、徳川家の管轄内深い場所でのウロウロ歩きは、置いてある(または、落ちている)石一個毎に何か読み取るものやことがある様に見えて、面白かった。こういう感じは、三内丸山縄文遺跡と吉野ヶ里弥生遺跡を両方見た後で感じた、日本の出来様が腑に落ちた時以降に起こる変な感じだ。

昔ニューヨークにいた時、友人だった東洋人のおばさんに、貴方はツングースなの?と聞かれたことがあった。その時はなんのことかわからなかったが、今、浜松から遠州鉄道に乗って浜北の方に向かっていると、周りの人たちのほとんどが僕とは違う骨格(顔つき)の人たちである様に見えてきて、不思議な想いが身を包む。

僕自身がそこにいるだけで、世界はかくも面白い。