僕が見ているものは、

本当に、見えているものなのか?

僕が見えているものは、

あたかも、そこにあるかの様に、

あるものなのではないか。


2025年12月 1日

うっすらと温かい、厚い曇。



基本的に、急激な集中力の拡散が起こって来始めている、様な気がする。ま、大変な事が起こったと言う報告はまだしないで済んでいるから、このままで構わないと、思うことにしよう。


何はともあれ、この時期はアメリカンフットボールが、一番面白い時期なので、つい録画をして夜遅くまで見てしまっている。その間を縫って駅伝だ。


いやはや、僕はそんなに好きなものはない方だと思うのだが、数少ない好きなものはとことん見てしまう。特に誰やどこかのファンとかで見ているわけでは無くて、普段のつまらない練習を積み重ねて、ここぞという時に(多分)本人すら思いもかけない動きをしてしまう人間の肉体や、長い距離を一生懸命、淡々と走る人を見るのが好きなのだ。


だから、テレビ局が、いつも先頭あたりを中心に写すのがあまり好きではないし、嫌だ。先頭がもちろん一生懸命なのは知っている(当たり前だ)が、その時にビリになってしまった(ている)人たちや、前が見えている5番目あたりを一生懸命走っている人とかが気になる。活動としては、その人たちが一番活性化している筈なのだ。僕の経験では。

そういう人間の活動を、もっとじっくりと見たい。



 今日も一日、

何事もなく過ぎる。

何事か起こる日は

もう充分だ。


2025年11月18日

高曇。暑くなく寒くもない、不思議な風。この時期、いつもこういう風が吹いていただろうか。


この前の土曜日、朝からーといっても、9時過ぎだったがー市民文化センター脇の広場に、自転車で出かけた。今日はここで、機関車の大型模型を動かす、というお知らせが来ていた(僕の友人から)。

機関車の大型模型というのは、蒸気機関車の模型。大きさは、本物よりだいぶ小さくて、レールの幅は、5センチだったはずだ。それでも、僕の持っている模型よりはだいぶ大きい。そして、最も大切なのは、本物と同じに石炭を炊いて水を沸騰させ、その蒸気を使って動く本物の蒸気機関で動かす。


僕は、エンジン(機関)を知った始まりがガソリンエンジンなので、機関と言うものはなんとなくシリンダーの中で爆発が起こり、その1回の爆発で起こった動きを、様々物理の理論で連続回転運動に治し、というふうになんとなく思っていた。蒸気機関は、そもそも人間が最初に作った、機械的動力なので、初めてその動きを知ったとき、僕は、大変驚いた。


みんなも知っているとおり、蒸気期間は、確かジェームズーワットという人がヤカンから吹き出る湯気を見て、思いついたとされる。彼はその蒸気の力が結構強いことを知って、その力で、ピストンを行き来させる装置を発明した。行き来できれば、それを回転に変えて、よりスムーズに様々な力に使える。その後はアッというもに、今の世界に行き着く。なんということだ。


ううむ、書くと長くなる。僕が驚いたのは、蒸気期間はその行き来を両方蒸気で行う所だった。押し、引の両方を蒸気でやる。そのため、ピストンが基本3本ある。押し、引、その方向の入れ替え。ううむ、誰が考えたのだろう。うまいもんだ。ま、とにかく、蒸気機関車は、それをあの先頭のところでうまい具合に詰め込み、ものすごい力をじっくりと引き出す。というのを見に行った。ハズだった。ちなみにそういうわけだから、蒸気機関車のあの大きい丸い胴体のほとんどは水の沸騰装置だ。


今日は、午後1時までしか場所を貸してもらえなかったのだ、という。だいたい(この大きさの)機関車が動くためには最低でも動く2時間ぐらい前から水を沸かさなければならない。終わってから、沸騰した水を抜いて、機関車を車に積める様になるまでには、またそれなりの時間がかかる。自然を人間の思い通りに使うということは、そういう(こういう)ことだ。ううむ、面白い。


なので、時間がないので、今日は、蒸気機関車は動かさず、電気機関車の模型だけで済ますことにしたことを、着いてしばらくして知った。残念。

書くと、こういうふうに長くなる。こういうことが、着いてすぐわかった。それを理解するまでちょっと時間がかかったという事だ