これは鬼石。

とある山の中にある。

誰かが、ずうっと昔、

ここに持って来て、

置いて行った、と僕は思う。


2025年 5月27日

厚い雲の高曇。暑くなく寒くなく。


昨日、石巻の和渕という所に、星真子さんの彫刻展を見に行った。

何回も言っているが、僕はあまり美術展を観に行かない。作品を取り巻く様々なことが僕を美術展に惹きつける。石巻の和渕字和渕町鈴寛ギャラリー。星さんすまぬ。彼女の作品よりこのギャラリーの有り様=住所が、僕を強く惹きつけた。石巻のJR駅前を中心とする石巻の街に行くのが僕は好きだ、なんの用事がなくても、時々行って北上川淵で海鮮丼を食べ、小牛田経由で帰って来たりする。

そして、石巻市は、僕が知っているより、やたら広いことも知っている。石巻にいる僕の友人が元住んでいた所は、ここがと思う様な場所だったが、石巻市だった。岩沼市に生まれて以来ずうっと住んでいる僕には思いもかけない様な広さで、石巻市はある。


ま、とにかく、そういうようなわけで、石巻に住んでいる大学の時からの友人に電話した。彫刻家でもある彼女も、星さんのことは知っていたが、和渕の鈴寛ギャラリーは知らなかった。時間を合わせて、石巻駅前で落ち合った。そうして彼女の車でギャラリーに連れて行ってもらった(それ以外の方法はほぼ不可能)のだが、其処に行く道はうまく説明出来ない。ところどころ見たことのある景色の場所を通ったのは記憶にあるが、また自分で行けと言われても困る。帰宅してから宮城県道路地図で確かめてみたのだが、確信が持てなかった。僕の持っている道路地図が古いこともあるだろうが、3桁国道から逸れて、前谷地に入り込む、辺りまでは言える、という所だ。とにかくその道筋自体が美術的鑑賞だった。嬉しい。


なんだか様々言って来たが、和渕は、星さんのアトリエがある所で、其処を開放する展示だった。ううむ。大きい作品を継続して作る美術家は、そのありよう自体が、日本では、実に美術的な作品なのだと深く実感させられた。特に立体作品は場所を取る。僕たちの国では、街の広場は、日本庭園という方向に、空間が収束してきた歴史を持つからなあ。


僕は、昔から、美術家は世界の仕組みの中では一次産業に携わる人のことであると言ってきた。ほぼ何もないところから、自分自身だけで作品を生み出す人。米を作る農業の人に、米屋さんがあるように、美術作品も、同じ様にギャラリーという米屋で最終的に販売されなければいけない。美術家とはそういう物を作る仕事の人の事だ。星さんの作品は大きい石のものもあり、綺麗に磨き上げられたイタリア産のピンクの大理石を見るにつけ、誰か買って自分の庭に飾っておけば良いのにと思う。


 神社の裏には、

ほぼ不動尊が居る。

ここにも、居る。

この空間を巡る、

深く広いお話。


2025年 5月22日

小糠雨。暖かい。


今日は、朝から、槻木の外れにある個人住宅のギャラリーに、ある彫刻家の展覧会を見に行く。


その予定で天気のいい昨日、朝から。モーターサイクルで下見に出た。日本の郊外の街のそのまた外れだから、小さいモーターサイクルが、一番機能的。オープンは今日なので、昨日は下見。最近、ほとんど外出をしていないから、道順や、その場所を巡る記憶がとても曖昧になっていてーま、歳のせいも、大いにあるだろうがー事前に記憶を確実にしておきたいのだ。記憶はほぼ大丈夫だった。

ほぼ、というのは、場所的には正しかったのだが、前に其処を探している時、ここで、向かいのおじさんに怒られたはずのおじさんの家がなかったり、路のツキあたりだった筈の道が普通の道だったり、間違ってはいないが違うイメージだった。


とにかくここをこういけば着く事は確認した。そのあとグルウッと回り道をして帰宅。途中で食ったラーメンがまずかった、珍しい。今日、雨があがったら、まず石油を満タンにして、出かけよう。


 心から、ほとんどのことは

どうでも良いことの様に思う。

どうでも良いという事は、

ほとんど良い事だ!という事だ。

2025年 5月18日

強く暖かい、乾いた空気。微風。


だいぶ書かずに来てしまった。児童館との活動が始まったり、歯医者に呼ばれたりはしたが、特に困ったこともなく、時間が過ぎている。


昨日から、星真子さんの彫刻の展覧会が石巻で始まっているはずだ。来週は児童館との活動がない週なので、石巻の友人と見に行こうと思っている。一人で行くのには困らないのだが、今回の展示は、彼女のアトリエを含む広範囲の様なので、石巻に住む友人を誘って、見逃しなく充分に見たいと思っている。とは言え、なんだかぼやっとしていたら、時間が過ぎた。ううむ、充分に歳をとって来ている。


暫くこのブログを書かないでいると、誰かが、そっと生き死にを確認に来ることがあるので、特に書くこともないのだが、少し書いておく。


 僕と、僕以外。

僕はそのうち無くなるが、

ここは、

暫くここに居る。

2025年 5月4日

ここ暫く、毎日高曇。


高曇りの空から、時々夏の陽射しがさす。毎日ほぼ何もせずボオッと生きている。心から人ごみが苦手なので、この時期は、ほぼずうっと家にいる。


夕方犬と散歩に出る。最近は長い散歩に出る=なる。阿武隈橋の脇から堤防に出て、ずうっと西に向かい、常磐線にぶつかって下に降り、おお、ここは本当にしばらくぶりだの、食堂オオヒトの脇を通り、土屋先生の作品を道路から暫く眺め、製紙工場に入る引き込み線を渡って直ぐ左に折れ、4号線下のトンネルを潜って産業道路を通って帰宅。

それにしても、土屋先生の裸婦の作品が、岩沼に少なくとも2体あるのは何故なのか。そして、そのうちの1体が飾ってある、市役所で聞いても、誰も何も分からない=知らないのは、何故なのか。


とは言え、公共に展示されている美術作品は、そもそもそういうものなのか。教育大を出て美術館職員を経験してきた爺さんとしては、なんとも、一体どうしたもんなの?である。前に、仙台市内にある彫刻を見る会に呼ばれて、お話をしたことがあったが、最近は、トントその様な話を/も聞かない。


ま、そもそも、美術作品なんか、各自好きに見れば良いわけで、それをめぐる話なんて、どうでもいいわけだが、ここ、この歳になると、作品そのものをめぐるお話ではなく、何故それがその様に其処にあるのかということを誰も知らないという、まるで、ミステリー物語の様な鑑賞というのを楽しめる。いやはや。今更だが、美術は、そういうものだったのだ。