2010年 11月24日  13度。無風。晴れ。薄い雲。ほとんど青空。気持ちよい秋の日。


美術館創作室の予定表には、今日の分のマスからはみ出す程の予定が書いてある。でも今日僕は家にいる。
先週の日曜日、山形芸工大博物館学クラス50人程が、宮城県美術館に来て、美術館での教育普及の実践を見に来た。で、その次の月曜、僕は電車で山形に行って、駅から歩いて大学に行き、朝1時限めの授業でその理論を話した。次の23日勤労感謝の日、通常出勤。市内の小学校の先生たちとお話。その他の活動。今日、朝から電気会社の人たちが来て、エコQト(給湯)の設置。日曜日に悠記が沖縄から帰って来て、月曜搬入火曜から個展。明美さんは覚醒していて、自分の世界を中心に怒ったり悲しんだりしている。

月曜、大学についたら、まったく偶然に昔からの友人の台湾からの留学生麥(マイ)さんが、その大学で中国語の先生をしているのに会う。近況を交換したかったが、授業があるのですぐに分かれる。授業後、再び歩いて山形市の裏道をうろうろしながら戻り、駅前の三津屋で桜エビおろし蕎麦。その後、念願の山形新幹線に乗り福島に。本数がものすごく少ないのでビックリ。新幹線が普通の踏切を普通に通り過ぎるのでビックリ。福島から東北本線普通列車(これもやたら本数が少ない)で帰宅。
ううむ、なんかこういう休みがずうっと続いているのだ。何もしない一人の日というのを作らないといけない。 

これまで僕が様々な所に書いた、美術や教育を巡る文章をまとめたいという人が現れて、ほとんどまとまった。仙台文庫というシリーズの中の一冊で、今年度中ぐらいには出す事になるそうだ。学術文庫ではなく面白い読み物にしたいと言う。どんな具合になるのか楽しみだ。

2010年11月10日  きれいな雲が流れる秋の日。空は高くなって空気は涼しい。


いやはやなんと11月の10日になってしまっていた。未だに胞夫さんの後始末は終了したとはいえない。胞夫さんの後始末には、心理的に栄子さんの後始末も深く関って来てこれまで手をつけていなかった彼女の遺品の整理も始まってしまうのだ。親がいなくなってしまうということはこういうことだったのかとしばしたたずむ毎日。
そういう事とはまったく関係なく即物的事務的なハンコや署名や戸籍謄本なんかの事務仕事がかぶさり、ブログなんか書いていると、肉体的にまいっちゃうぜの毎日が、もう1ヶ月をはるかにすぎているのに続く。

そして、というような個人的な問題とはこれ又まったく関係なく美術館の仕事は相変わらず忙しい。そんななか明日から半年毎の心筋梗塞カテーテル検査入院だし。
入院から帰ったら、もう少し詳しい状況報告が書けるのではないかと思う。このブログを読んでくれている人たち、すまぬ、もう少し待っていてください。あ、一応、僕の体調は(万全ではないが)いいです。