2009年11月17日  朝から一日雨。少しずつ強くなり今は本降り。


2回目の(数としては3個目の)ステント手術から退院し、約1週間自宅療養して今日から社会復帰。この1週間自宅にはいたが、毎日なにやかにやあって、何もせずにぼんやり時間を視ていた日はなかった。

脳神経外科の病院に報告及び今後の相談に行ったり、入院中夢に見ていたあっちこっちの模型屋さんに行ったり(でも何も買わず)、美味しい昼ご飯を食べたり、KEENOW(孫)と半日遊んだり、そうして床屋へ行ったり。ああそうだ、何しろお相撲が始まった。ああ、こういうのが毎日休んでいたということか。下の娘が来てくれていたので大変助かった。彼女が居たので僕はこういう毎日でいられたのだ。沖縄にいる上の娘も昨日の夜電話をくれた。これでだいたい社会復帰の準備は整った。


今日から美術館に出て、出た途端に幼稚園の人たちと本物の探検。美術館から彼らの幼稚園まで歩いて帰る活動、のはずだったが、途中で雨がひどくなったので、すなおに撤収に変更。大橋の下で雨宿りをしながら昼ご飯を食べ、東北大川内キャンパスまで戻り、ちょうど来た市営バスで帰園。いやはや。だいぶ寒かった。息が白くなっていた。

子供達はまるでなんでもない所で笑い転げながら、変な歌を元気に繰り返し歌いつつ手を繋いで行進。本当に子供はうるさいなあ。でもニコニコ。自転車来るから手を離してって言うのに、すぐまた繋いで元気に行く。繋いでくる手がどれもみんな暖かい。

一人車椅子の人がいて、その子には凄い探検だったのではないか。そうだといいなあ。日本では車椅子を使っているとなんか過剰に保護されているような気が僕はしている。歩けないだけなんだから、そこんとこは手伝って一緒にやるけど、それ以外はできるだけ子供の時するべきことをするべきだと思っている。その子も仲間も、雨の中ちょっと大変だったかもしれないが、この子らが大きくなってから「僕らは探検をしたことがある」と思ってくれるといいなあと考えながら、園に帰る子供達を乗せたバスを見送った。「今日のどこが探検だったの?」ときいてきた子供がいたけれど、こういうのが本当の毎日の探検なんだよ。大きくなるまで忘れないようにね。僕はそこから美術館に帰る。

この活動のとき、普通僕は緑のマウンテンパーカに、焦げ茶のテンガロンハットをかぶるのだけれど、今回は、車椅子の人をおんぶするかもしれないと思ったので、つばの短いサイクルキャップにした。大きいつばの帽子はおぶわれている人に邪魔になるからね。今日、アパートの裏から河原に内緒で降りる所と、為朝神社の中を扉の小さい穴からソッと覗くときと、あと何回かおんぶするときがあって、こっちの帽子にして良かったなと思ったものだった。

文に書くとこういうことになるのだけれど、これらの活動はいわゆるワークショップと呼ばれる活動で、一緒に同じ時間を過ごすしかうまく伝える方法はないようだ。しょうがない、地道にしこしこ続けて行こうと思う。


2009年11月12日  晴。湿って冷たい一日。


退院して家にいると徐々に(いや急速にかな)夜更かしになる。もうすぐ10時だというのに、今まで、病院で寝ながら徒然に頭に浮かんだことを小さいメモ帳に書き留めていたものを、電脳上に整理しなおしていた。ベッドの上ではちゃんと書いていたつもりだったのに、家で読み返してみるといわゆるミミズが這い回ったような字になっていて、一つの文にするのにだいぶ時間がかかった。あることに気付いたきっかけのような考えを静かに思いなおして、きちんとつじつまが合うように文にしてみる。今回は入院する前ギリギリまでみんなと美術の授業に付いて考えていて、入院した時に枕元に持ち込んだ本がきっかけになって考えが広がる。それだけだと、これまでは広がりっぱなしになりそうな所に、ちょうど他の美術館での鑑賞教育実践報告の依頼や、ワークショップでのファシリテーターになるための授業ができないだろうかという相談などが絡んできて、考えの方向がクリアに見えてくる。つい、のってしまった。


僕は、何はさておきまず「私は彫刻家だ」という所に立つ視点を大切にしてきた/している。でも、思えば僕はもうこの2年ぐらい彫刻を作っていない。手に付いた技術は、自転車に乗ることのように、そう簡単に駄目になることはないが、単に鉄の熔接ができるということと、それを使って鉄のスクラップを美術作品にすることができることとはまったく違うことだ。いつも言っているように、technicとcreativityは似て非なるものの最たるもので、常に注意が必要だ。

どっちがどうだということではなく、creativityのprofessionalでいるということは、頭の中にある世界観をいかに表現できるかという力の意識の仕方なのだ。しかしその世界観を思う存分具体化するには深いtechnicの力がいる。深く強いtechnicが、表すべき世界観を最初考えていたものより(いつのまにか)拡大していることはよくある。具体的なもの(作品)も世界観(頭の中)も、両方ともに。

今、僕は何を使って何の表現をしているのだろうか。そして、そのことをどのように自覚しているのだろうか。どうもメインは彫刻ではなくなっているのではないか。それでも僕はまだ大丈夫なのか点検したい。もう11時を過ぎた、寝よう。

2009年11月11日  一日雨。凄く強く降るはずだったのにシトシトと。


今日心臓循環器系の病院から退院してきた。最初にカテーテル検査してそのまま手術になり、ステントを2個入れてもらったときに、もう一箇所つまっている所があることは言われていた。今回の入院でその残っていたつまり箇所を直してもらった。説明を聞くと今回の所は見つけてすぐ直すということができない所だったようだ。詰まっている所が細くて長い。最初に入れたのとは性質の違う少し太いステントを送り込む。状況によっては股関節の動脈を使うことになるという。最初話を聞いたときは60~70%の成功率と言われ、ちょっと緊張した。でもやってもらわないわけにはいかない。

実際には、今回も左手首からのカテーテル挿入手術で約45分ほど。傷痕を見ると2回太い針が刺されたようで、これまでで最も痛い感じがした。とはいえ、肉体的な負担はほとんどないと言ってよく、1週間の入院で済んだ。木曜日午前中に手術をして金曜朝には手首の圧迫止血も終了。日曜の午後には入浴許可。体は元気なままなのでやや時間を持て余した。最初に持って行ったSFとミステリー計3冊の文庫本は土曜までに読み終え、車とアウトドアの雑誌を2冊買い、ハードカバーの新刊を2冊買って来てもらって熟読した。文庫も含め、様々考えることの多い読書だった。考えたことについては、おいおい思い出すことを書いていこう。

手術の結果は上々で今は実に快調だ。今になると、そうかこの手術の前は心臓重かったんだということがわかる。今は軽々動いている。体力が落ちているのが感じられる。筋肉が減っているのが感じられる。今までは体力がなくなったことを意識する前に、その作業をやめてしまっていたのだと思う。自覚してじっくり基礎的な体力の回復をはかろう。さしあたって、今日はここまで。

2009年11月 1日  曇。生温く始まり思い切りの悪い寒い夜へ。

しばらくぶりに更新する。今回更新が途絶えたのは別に入院していたからではない。10月30日に、造形教育大会東北大会仙台大会があった。今週は、ここを中心に生活が回るはずだったが、そんなに緊張することもなく過ぎた。なのでかえってぼんやりと終わったなあと思っているうちに、月が変わってしまっている。

今日あたりから天気図的には冬になるとラジオで言っていたので、今朝は結構冬支度で家を出たのに、なんだかぼんやりと生暖かいまま夜になった。それでも帰りに北仙台の二輪工房に寄って冬用のサイクルキャップを買ってきた。帽子はたくさん持っているが、気に入ったモノばかりをかぶることが多いので、一気にくたびれてくる。いろいろなことを、点検し整理しようと思う。


今回の造形大会は、ずいぶんと初めの頃から相談に乗ることができたので、こちらの思い込みを修正する事ができるあたりから話し合いに参加できた。そのため、授業の点検助言だけなどより、収穫は多かった。

造形大会は、図工美術教育の先生たちの研究発表会で、各県ごとに行うのとは別に東北6県持ち回りで大きい規模での話し合いをして行く。今年は宮城の番で仙台市図工美術教育研究会(名称不確実)が主催した。教育委員会とかは、あんまり関わらないようだったのが面白かった。

義務教育での美術教育は、なぜか日本では造形教育と呼ばれていて、そういう名称の会合に呼ばれた時は「僕、造形教育は苦手」と言うことにしている。造形と美術の言葉の違いを真面目に検討しても面白いが、まず、造形はわからないけど美術の話はできるよ、と美術館の人に言われた時に各自がその何気なく使ってきた言葉についての概念を点検し始めるところが大切だと思う。点検さえすれば、実は同じだったでもかまわないのだ。造形教育の大会なのに、是非美術館でしたいというのも、それはなぜかについては特に誰も文句を言わないのはなぜだ?と言うふうに、美術館から見ていると学校での美術教育では様々不思議なことが立て続けに起こる。だが前に述べたように、今回はそうなるだいぶ前から一緒に考えられたので少なくとも小学校は順調に快調に進んだと思う。小学校の先生をやるためには、豊で深い大人であることがその基本に必要なので、美術の話の伝わり方理解のしかたが、簡単で早い。一方中学校は、まず教える教科の専門家であることが問われるので、人間的な完成度合いの点検がどうもおろそかで甘いように僕には見える。美術の専門家であることはこの話とは逆のように思えるのだが、日本での美術家の立場は、どうも違っていて、そのことを誰も点検しない。と言うような感じも今回はだいぶあからさまに出て、そこを巡って考えることができたが、まとめるにはもう少し時間がかかりそうだ。

音楽体育美術と言う表現を巡る3教科をプライマリー(基礎基本)教育のうちに全員にさせておくという日本の教育体系は結構これからの地球上の人類にはすごく大切なことになってくるように僕には思えるのだが。